東部の状況

あるドイツ人記者によるロベール・フォリソン教授へのインタビュー(第二部)
http://blog.livedoor.jp/dodard/archives/5098118.html

 東部でも状況は似たようなものだったとお考えですか?

 ドイツ人であるあなた自身が具体的な例をご存知なのでしたら、是非教えてください。

 大三帝国のど真ん中でのユダヤ人の日常生活が大戦を通してどのようなものであったのかを物語る素晴らしい資料があります。ドイツ人の方には是非この書物を読むことをお奨めします。ヴィクトール・クレンペラーの回想録です。私はドイツ語版、フランス語版、英語版をすべて持っていますよ。同じ本を異なるバージョンで読むのが好きなのです。
 この本に関しては、一番興味深いのはフランス語版です。他の二冊が1945年6月で終わっているのに対して、フランス語版は同年12月まで続いているうえ、1947年1月に書かれた手紙が付け足されています。この手紙の中で作者は明らかに戦後盛んになったプロパガンダの影響を受け、それまでは日々正確に日記に書きつけてきた実際の自分の体験について、噓や過剰な表現を重ねるようになっています。

 ユダヤ人のヴィクトール・クレンペラーアーリア人の女性と結婚し、ドレスデンに住んでいました。大変な反ナチスである彼は、そのための苦悩を日記に書き綴ります。例えばユダヤ人であるために黄色い星を身につけなければならなかったこと。何よりも彼を憤らせたのは、夜間外出禁止令に違反したため、1941年6月、八日間監禁される目に遭ったことでした。この八日間を彼はドレスデン警察署で過ごすことになったのですが、そこでの彼に対する扱いはきちんとしていたと書き残しています。
 日記を通じて彼は、通りや電車、店で出会うドイツ人達が、彼を迫害したり敵視したりするのとは程遠く、全体に気配りに満ち、親切であることを繰り返し強調しています。例えば食材屋のフォーゲルは、当時は貴重品だったコーヒーを彼のためにいつも取り置いてくれました。役人達は彼に愛想がよく、礼儀正しく振舞いました。

 ”行き交う人々は黄色い星をつけている人間に親近感を示すのだ。”

 また、「黄色い星のおかげで、良い目に遭うことが増えた」と彼は書いています。そしてこのように言っているのです。

 ”人々は明らかに、ユダヤ人が迫害されることに罪悪感を感じている。”

 それでいて彼は、ドイツ軍の散々な敗退やドイツへの空爆を喜び、それでもドイツ国民がまったくくじける様子のないことを残念がっています。タイプで打たれたおよそ五千ページに及ぶこの記録は、一般のドイツ市民がその反ユダヤ感情のために<ホロコースト>と呼ばれるものに協力したと主張するダニエル=ジョナー・ゴールドハーゲンの説を真っ向から否定しているのです。

ブルドーザーで死体を片付ける英軍兵士

あるドイツ人記者によるロベール・フォリソン教授へのインタビュー(第一部)
http://blog.livedoor.jp/dodard/archives/5083623.html

 イギリスがベルゲン・ベルセン収容所について行なったプロパガンダについて特に多く語られましたね。

 ええ。
 ウィンストン・チャーチルの同胞は、ベルゲン・ベルセン収容所でたいへんな手柄を立てたのですよ。

 私が<ブルドーザーのトリック>と呼ぶものです。1945年4月、人口密度が過剰だったベルゲン・ベルセン強制収容所では東部からもたらされた感染症が猛威をふるい、収容所内はまさに病巣と化していました。原因は、英米軍による度重なる空襲のために食料が底をつき、水道が断たれてしまったことでした。
 そのためドイツ当局は、強制収容所に近づきつつあった英国のモンゴメリー隊に使節団を送り、収容所が置かれた衛生状況(また、無検査で捕虜を一挙に解放した場合にドイツ国民を含めたあらゆる人々を襲いかねない危険)について知らせました。
 英軍はSSと協力することは拒否しましたが、ドイツ国防軍なら状況改善のために手を貸すことを受け入れました。
 到着したイギリス人達は、墓を掘り起こして死体を数え、それが終わると再び大きな深い穴にそれらを埋め直すことにしたのです。死体を穴に収めるために彼等はブルドーザーを用いました。ブルドーザーが操業している様子は現場でフィルムに収録され、映像の幾つかは後世にまで伝わることになります。何よりもドキュメンタリー映画(あるいは“デマメンタリー”と言うべきでしょうか?)『夜と霧』(1955年)のおかげです。
 何百万という視聴者が、この映像こそが、ドイツ人が来る日も来る日も産業的規模で捕虜を殺していた証拠であると信じたのです。ブルドーザーを運転しているのがドイツ人ではなくイギリス人だと見抜くことができた視聴者は稀でしょう。歴史検証主義に一挙に反論するために1978年、南アフリカで出版された書物に掲載された写真では、ブルドーザーと死体は見られますが、運転手の頭部はカットされていました。運転手がドイツ人だと読者に思わせようとする意図が明白です。

冤罪が多かったBC級戦犯

アメリカに問う大東亜戦争の責任』長谷川熙

 第四章で見るように、A級戦争犯罪人裁判(東京裁判)には深刻な暗黒面があったが、BC級の場合も、元捕虜が裁判官になったり、弁護人が欠けていたり、通訳が拙劣だったり、さらに証言、証拠がでたらめだったり、証人への反対尋問も許されなかったり、そもそも冤罪である場合が少なくなかったり、およそ裁判の体をなしていなかった例が数多くあったことは疑えない。以前からこれについての文献も少なくなく、研究も数を増している。(p119)

悪罵の嵐

『幽囚回顧録今村均 中公文庫

 つぎには、軍人は軍閥の走狗になり、国をつぶした不忠もの、との世のののしり。この悪罵の嵐は、たしかに終戦直後、国の内外に吹きすさび、今でもその余勢が静まりきってはいない。これは、つぎの三つの事情によるのです。
 第一は、アメリカ軍の行なった大きな宣伝のためだ。彼らは考えたのだ。日本の天皇終戦を決意されても、この勇敢決死の民族の闘志は、容易のことでは静まるまい。現に決戦を直訴しようとした陸軍軍人もあれば、終戦詔書渙発のあとに飛びだし、米艦隊に爆弾とともに突撃した幾多の海軍特攻隊もあったではないか。従って日本の占領は、大きい犠牲なしには出来まい。すみやかにこの国民の戦意を喪失せしめることが、最大緊急の要務だ。これがためにはまず国民の団結を破壊し、相互に争うようにしむけ、完全に弱体化しなければならない、と。そこで彼らは、第一に、日本の全新聞、雑誌、印刷所、ラジオを、その勢力のもとにおさめ、米軍は、決して日本民族を敵とするものではない。いな、反対に、長い間封建的勢力により、抑圧され自由を奪われていた不幸な境遇から民衆を解放し、民主自由のしあわせを享受せしめようとするものだ。米軍が敵とし、処罰せんとしているものは、国民を無知にし、これをあざむき、その犠牲の上に、侵略戦争を世界にいどみかけた悪魔的軍閥と、その支持者だけだ、と呼号し、これに最大の力と金とをそそいだあらわれである。(p143)

裁判に対する申し入れ

『幽囚回顧録今村均 中公文庫

 戦争の惨害をなるべく軽減するため、国際条約である陸戦法規や、これにもとづく俘虜取扱条約などが作られており、これらを守ることは、たしかに必要のことであり、人道上からも、かくあらねばならぬと思う。このために、右に違反した行為を裁判し戦犯者を罰するということは、全人類に反省をうながすものとして肯定されなければならぬ。しかしながら今度、連合軍の行なった軍事裁判は、つぎの観点から私は合法正当のものとは認めていない。

 一、敗者だけをさばき、戦勝者の行為にはいっさい触れようとしない。
 たとえば帰還復員のため、武器をすてて日本船の来着を待機している日本軍に対し、各種強制労役を課したり、わが将兵にくわえた豪軍人の不法暴虐はいっこうにさばこうとしない。私のなした数十回の抗議に対し、さすがにイーサー師団長は幾度も部下に訓戒を発し、ときには自身、自動車を駆って不法行為をやった部隊にかけつけ訓諭したこともある。が、一件として、これの軍事裁判をやったということを聞かなかった。
 彼らのうちには「戦争犯罪は、終戦後の事犯にはおよばないものだ」などというものがあるとのことだが、日本軍人の終戦後の行為は、どしどし裁判にかけている。そんないいわけはたたない。第一、無警告に広島や長崎に原子爆弾を投じて、無辜の老幼婦女子までも殺戮した命令者やそれを実行した者は、英雄をもって遇されている。連合軍の行なった裁判は、まったく勝者の権威をいっぽう的に拡張した残忍な報復手段であった、としか認められない。
 二、この裁判は終戦の年(一九四五年)に、戦勝国間だけできめた戦争犯罪法を根拠としたもので、世界が認めた国際法にもとづいたものではない。
 三、日本軍首脳部の責任である事項を無視して下級者を罰している。
 たとえばインド人、中国人らの捕虜を宣誓釈放のうえ、労務部隊を編成して輸送した大本営支那や南方の総軍司令部を調査することもしないで、これを捕虜部隊だったと独断し、それらを取りあつかった日本軍人を罪としている。
 四、一般の裁判、とくに証拠を尊ぶ英国法裁判では許していない聞き伝え証言を、この軍事裁判は有効としてとりあげ、罪状を決定する。
 五、激烈な戦況下に行われた行為とか、戦場心理などは、いっさいこれを無視して考慮外におき、平常的観念でさばく。
 六、日本軍での命令は絶対の権威であり、ことに、敵前でのものは断じて違反し得ないものであることを知っていながら、その責任を命令者だけにとどめず、実行にたずさわった下級者にまでおよぼしている。(p22)

悪鬼の迫害

『幽囚回顧録今村均 中公文庫

 豪軍のS中尉が筆頭となり「片山はモロタイで男らしく罪を自白し、さすがは日本将校だと称賛されたというのに、なんだこれは……。(裁判準備の余裕も与えられず、飛行機で到着した翌日から裁判がはじめられ、全くもうろうとした頭で、真実でないことを述べた)などと、全部をくつがえしている。彼はギャマン・クリスチャンだ」と非難し、事ごとに意地悪い迫害をはじめ、それにならい、s准尉、B伍長が手荒らなことをし、些細のことにも難くせをつけ重労働を課した。この間に彼がしめした宗教的忍辱の態度は、いよいよ同信の人々をひきつけ、収容所全員三百人の尊敬を集めた。さすがに所長とバックハウス中尉とは、片山大尉に対する信用をうすめてはいなかった。(p67)

恥を知るべきはドイツか、連合軍か、それとも戦争なのか?

ロベール・フォリソン: 『恥を知るべきはドイツか、連合軍か、それとも戦争なのか?』
http://blog.livedoor.jp/dodard/archives/7597550.html

 ロベール・フォリソン

 コペルニクスが、太陽が地球の周りを回転しているのではなく、逆に地球が太陽の周りを回転していることを実証して以来、<コペルニクス革命>という表現が誕生した。この表現は、現実は見掛けとは異なる場合がある(そしてそれは容易に確認できる)だけではなく、現実は見掛けとは正反対であることさえ有り得ることを意味している。第二次世界大戦後、まさにこれと同じことに気づいた研究者達がいた。彼等は、敗戦国(つまりヨーロッパでは主にドイツ人)の責任とされた残虐行為の多くが、もしかしたら実際には連合国の責任によるものだったということに気づいたのだ。つまりそれまでは「ドイツは恥を知れ!」と人々を叫ばせた数々の写真があるわけだが、実は、「ドイツをこんな状態に陥れた連合国は恥を知れ!」と言うのが正しいらしいのである。あるいは「恥ずべきは戦争とそれにつきものの残虐行為である!」と。

 米軍はドイツに侵攻した時、自分達の手による爆撃が引き起こした惨劇に、自ら驚愕した。
 我々が知らねばらないのは、自国の軍用機を相応に開発することによって、人類史上他に例のない規模の市民に対する攻撃の火蓋を切ったのがチャーチルルーズベルトであることだ。チャーチルルーズベルトは、大小を問わず全ての都市、時には村さえをも破壊する決定を下したのだった。彼等の戦略的観点によれば、空からの爆撃、つまり市町村への徹底空爆と火炎地獄を逃れようとする市民や田園地帯の農民への機銃掃射によって、ドイツ人の生活はひとつ残らず不可能なものにならなければならなかった。住宅、病院、学校、大学、老若男女、家畜、すべてが消滅しなければならなかった。その結果、鉄道は運行不能に陥り、通常なら数時間で走る行程に、何日も要するようになった。そのために例えば、間近に迫るソ連軍を前に、東部の収容所を自主的あるいは強制的に離脱した捕虜達を乗せた輸送車がようやく目的地に辿りついた時、どのような状態にあったかを想像するのは容易い。

 チャーチルルーズベルトがこのような戦略を選択したのは、市民を相手に戦争を行なう方が、軍を相手にするよりも遙かに容易だったからだ。時には連合軍の西側諸国内で、特に聖職者の間から、ドレスデン空爆に象徴されるこうした蛮行に対する非難の声も挙がった。しかし戦争プロパガンダは、多少なりとも<悪魔>を象徴するもの(ユダヤ系のプロパガンダ屋にとってはさしずめ<アマレク人>)は、何もかも破壊しなければならないのだと主張を続けた。
 実際にはその後アメリカは、日本、ベトナムイラク、その他世界の隅々で、これと同様の破壊主義的戦争を行い続けている。