グノーシス主義―裏切り者のユダを美化する思想

『原典 ユダの福音書』ロドルフ・カッセル 他

 ユダとは、新約聖書に登場するイスカリオテのユダのことだ。『ユダの福音書』――そのタイトルからして衝撃的である。新約聖書の四つの福音書キリスト教の伝承では、ユダは極めつけの裏切り者とされている。イエスを裏切ってローマ帝国の官憲に売り渡した張本人だからだ。「イエスの良き知らせ」である福音書からは、最も遠い人物と言ってもいい。実際、『ルカによる福音書』には、悪魔がユダに入りこんで卑劣な行いをさせたと記されている。また『ヨハネによる福音書』では、イエス十二使徒の前で、ユダは悪魔だと名指ししている。新約聖書によると、ユダの末路はその行状にふさわしいものだった。イエスを裏切って報酬を受けとったあと、自ら首を吊ったか(『マタイによる福音書』)、体が真ん中から裂け、はらわたが出ておぞましい姿で死んだ(『使徒言行録』)という。キリスト教美術でも、ユダはイエスに口づけしながら陰で裏切るという、不名誉な姿でよく描かれている――いわゆるユダの接吻である。(p05)


 『ユダの福音書』に描かれるイスカリオテのユダは、裏切り者であると同時に、福音書のヒーローでもある。…『ユダの福音書』でも、ユダはイエスを裏切る。だが、それはイエスの要請だった。イエスはユダに「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」と語る。『ユダの福音書』によると、イエスが救済者なのは、いずれ滅びる肉体をまとっているからではなく、内なる魂、すなわち神性を現すことができるからだ。そしてイエスの真の居場所は、地上の不完全な世界ではなく、光と生命に満ちた天上の世界である。『ユダの福音書』に描かれるイエスにとって、死は悲劇ではないし、罪が許されるための必要悪でもない。
 『ユダの福音書』の中のイエスは、新約聖書の四福音書のイエスとちがってよく笑う。使徒たちの至らなさを笑い、人生の不条理を笑っている。そんな不条理な物質世界から退場できるのだから、死を恐れたり怖がったりすることはないのだ。死は悲しいものではない。イエスが肉体から解放され、天上の家に戻る手段である。そしてユダは、敬愛するイエスを裏切ることで、彼が肉体を捨て去り、内なる神聖な本質を自由にすることを手助けしている。(p07)

千年王国論

千年王国を夢みた革命 17世紀英米ピューリタン』岩井淳

 千年王国論とは、『聖書』の「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」を典拠にして、近い将来にキリストが再臨し、地上で「キリストの王国」が実現されると考える教義である。
 千年王国論は、原始キリスト教の教義であったが、中世を通じての長い異端的伝統をもち、一七世紀イギリスにおいて有力な教えとして復活した。この復活に寄与したのが、トマス・ブライトマンやジョゼフ・ミードといった神学者たちであった。(p09)


 千年王国論は、第一章で見たように、聖書の時代に起源をもつ思想であった。それは、中世において異端視されていたが、一七世紀イギリスにおいてよみがえり、ピューリタンたちによって広範に受け入れられた。しかし留意すべきは、一七世紀の千年王国論が、古代の思想そのものの復活ではなくて、カトリックや国王派を「反キリスト」とするなど新しい特徴を備えていた点であろう。
 この千年王国論は、第三、第四、第五章で示したように、ピューリタン革命において積極的な役割を果たした。(p206)

天から火が下り、彼らを食いつくした

新約聖書 訳と註7 ヨハネの黙示録田川建三 訳著

第二〇章

 そしてその千年が終った時に、サタンが留置場から解き放たれる。そして(そこから)出て来て、地の四隅にいる諸民族(=異邦人)、つまりゴグやマゴグのことだが、彼らを惑わして、戦いのために集めるであろう。彼らの数は海の砂ほど(に多い)。そして地の広きところへと上った。そして聖者たちの軍営と愛された町を包囲した。そして天から火が下り、彼らを食いつくした。そして彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこでは獣と偽預言者も。そして彼らは日夜、永遠から永遠へと、拷問にかけられることになる。(p42)

ローズヴェルトの登用

『共産中国はアメリカがつくった』ジョゼフ・マッカーシー

 マーシャル夫人はその後の成り行きを著書に記述している。

 夫〔マーシャル大佐〕は当時参謀総長だったマッカーサー将軍に手紙をしたため、これまでの陸軍生活で初めて、特別な配慮を願い出た。フォートベニング訓練基地で四年間の教官を務めた後、実戦部隊から離れてふたたび州兵相手の教官に就任するとなれば軍人としての将来はないと夫は感じていた。夫は連隊にとどまっていられるように願い出た。
 私たち夫婦は一週間とたたないうちにシカゴへ向かった。娘と二人の息子は、住まいを見つけるまでボルチモアで待っていた。私は、シカゴでの最初の数ヵ月を一生忘れることはない。夫があれほど暗くやつれた顔つきをしていたのは、後にも先にもこのときだけだった。

 これが一九三三年時点のマーシャルの姿だ。マッカーサーによって連隊司令官を解任されたマーシャルはその六年後、ルーズヴェルトによって米国陸軍参謀総長に登用されることになる。連隊司令官としては失格だったのに、大統領が陸軍の最高ポストに抜擢した理由はいまだに謎のままだ。その六年間でマーシャルは何か輝かしい功績を上げたのか? 軍人としての能力が認められて参謀総長ポストのお鉢がまわってきたのか? それとも、失敗を成功に転化させるような政治的裏工作があったのか?(p28)

プーチンはなぜ今、軍事介入に踏み切ったのか?

スイスの軍事・国連専門家がウクライナの戦争にメスを入れる  ジャックス・ボー
https://note.com/tender_lotus58/n/n70a9f7030004

プーチンはなぜ今、軍事介入に踏み切ったのでしょうか?

2021年3月24日、ゼレンスキーはクリミアを武力で再征服する大統領令を発した。
そのための準備を始めた。
それが本心なのか、それとも単なる政治的な駆け引きなのかはわからない。
しかし、ドンバス地方や南方のクリミア方面でウクライナ軍を大規模に強化したことは事実です。

もちろん、ロシア側はこの兵力の集中に気づいていた。
同時に、NATOバルト海黒海の間で大規模な演習を実施した。
当然、ロシア側は反発した。
南部軍管区で演習を行った。

その後、事態は落ち着き、9月にはロシアがかねてから計画していた「ザパド21」演習を実施した。
この演習は4年に1度行われます。
演習終了後、一部の部隊はベラルーシ近郊に残った。
これらは、東部軍管区の部隊である。
そこに残っていた機材のほとんどは、今年初めに予定されているベラルーシとの大作戦のために取っておいたものだ。

ー これに対して、欧米はどう反応したのでしょうか?

欧州、特に米国は、これをウクライナに対する攻撃力の強化と解釈した。
独立した軍事専門家だけでなく、ウクライナ安全保障理事会の責任者も、当時は戦争の準備がされていなかったと述べている。
10月にロシアが置いていった機材は、攻撃的な作戦を目的としたものではない。

ところが、いわゆる西側の軍事専門家、特にフランスでは、これを戦争の準備と解釈し、プーチンを狂人呼ばわりするようになった。
2021年10月末から今年の初めまでは、このような状況でした。
この問題でアメリカとウクライナのコミュニケーションの取り方は、非常に矛盾していた。
米国は攻撃計画を警告し、ウクライナはそれを否定した。
永久に往復することになったのです。

ー OSCEは、ドンバスが今年2月に砲撃されたと報告しています。
2月に何があったのでしょうか?

1月末になると、状況は一変したようだ。
アメリカはゼレンスキーと話をし、わずかな変化が見られた。
2月に入ってから、アメリカはロシアの攻撃が迫っているという話をし、攻撃シナリオを流布し始めた。
国連安全保障理事会にて、アントニオ・ブリンケン氏が、米国の情報機関によるとロシアの攻撃がどのように展開されるかを解説しています。

これは、イラク攻撃前の2002/2003年の状況を思い起こさせる。
そこでも、アメリカは情報分析に基づいた説明をしていたはずである。

私たちが知っているように、これは真実ではなく、イラクには大量破壊兵器はなかった。
実際、CIAはその仮説を確認しなかった。
その結果、ラムズフェルドはCIAではなく、CIAの分析を回避するために特別に作られた国防総省内の小さな機密グループに頼ることになった。

ー その情報はどこから来るのでしょうか?

ウクライナの文脈では、ブリンケンもまったく同じことをした。
ロシアの攻勢に先立つ議論の中で、CIAや欧米の情報機関による分析が全くなかったのだ。
ブリンケンが語ったことは、すべて彼が作ったチーム「タイガー・チーム」から生まれたものだ。
私たちに提示されたシナリオは、情報分析によるものではなく、自称専門家が政治的意図を持ってシナリオを作り出したものだ。

こうして、ロシアが攻めてくるという噂が生まれた。
そして、2月16日、ジョー・バイデンは、ロシアが攻撃しようとしていることを知っていると言った。
しかし、どうしてそう思うのかと問われると、CIAやOffice of National Intelligenceには触れず、アメリカには非常に優れたインテリジェンス能力があると答えた。

ー では、2月16日に何かあったのでしょうか?

この日、ウクライナ軍による停戦ライン、いわゆる「コンタクトライン」沿いの停戦違反が誇張されるようになった。
この8年間、常に侵害はあったが2月12日以降、特にドネツク、ルガンスク地方で爆発を含め、非常に増えている。
これはドンバスにいるOSCEミッションが報告したことなので、私たちは知っています。
これらの報告は、OSCEの「デイリーレポート」で読むことができる。

ウクライナ軍の狙いは何だったのでしょうか。

これは確かにドンバスに対する攻撃の最初の段階であった。
砲撃が激しくなると、両共和国の当局が民間人をロシアに避難させ始めた。
セルゲイ・ラブロフ氏はインタビューの中で、10万人以上の難民について言及した。
ロシアでは、これが大規模な作戦の始まりと見なされていた。

ー その結果、どうなったのでしょうか?

このウクライナ軍の行動がすべての引き金となった。
その瞬間から、プーチンウクライナが両共和国に対して攻勢をかけることが明白になった。
2月15日、ロシア連邦議会(ドゥーマ)は、これらの共和国の独立を承認することを提案する決議を採択していた。
プーチンは当初反応しなかったが、攻撃が激化するにつれ、2月21日、議会の要請に前向きに応えることを決めた。

ー なぜプーチンはこのような行動に出たのでしょうか?

この状況で、ドンバスのロシア語圏の人々を守るために何もしないのでは、ロシア国民に理解されないので、そうせざるを得なかったのだろう。
プーチンにとって、人民共和国を助けるためだけに介入しようが、ウクライナ全土を侵略しようが、欧米が大規模な制裁で対応することは明らかであった。

まず、2つの共和国の独立を承認し、同日、それぞれの共和国と友好協力条約を締結した。
このときから国連憲章第51条を発動し、集団的自衛権自衛権の枠組みで2つの共和国を支援するための介入を行うことができるようになったのだ。
こうして、軍事介入の法的根拠を作り上げたのである。

ーしかし、彼は共和国を助けるだけでなく、ウクライナ全土を攻撃したのでしょうか?

プーチンには2つの選択肢があった。
1つは、ウクライナ軍の攻勢に対してロシア語圏のドンバスを単純に助けること、もう1つは、ウクライナ全体を深く攻撃してその軍事能力を無力化することである。
また、何をやっても制裁が待っていることも考慮していた。
しかし、プーチンは決してウクライナを占領したいとは言っていない。

彼の目標は明確で、「非軍事化」と「非ナチス化」である。

ー この目標の背景には、どのようなことがあるのでしょうか。

ウクライナはドンバスとクリミアの間の南部に全軍を集結させていたため、非武装化は理解できる。
迅速な作戦で、これらの部隊を包囲することができる。
その結果、ウクライナ軍の多くは、スラビャンスククラマトルスク、セベロドネツクの間のドンバス地域の大きなポケットに取り囲まれてしまったのだ。
ロシア軍はこれを包囲し、無力化を図っているところです。

さて、いわゆる「非ナチス化」ですが、ロシア人がこれを言うとき、それは空虚な言葉ではありません。
ウクライナ軍の頼りなさを補うために、ウクライナは2014年以降、例えば有名な「アゾフ連隊」など、強力な準軍事部隊を発展させてきた。

でも、もっとたくさんあるんです。
ウクライナの指揮下にあるそのような集団は多数ありますが、ウクライナ人だけで構成されているわけではありません。
例えば、アゾフ連隊はフランス、スイスなど19の国籍で構成されていて、まさに外人部隊である。
ロイター通信によると、これらの極右グループは合計で約10万人の戦闘員を擁しているという。

ー なぜウクライナには準軍事組織が多いのですか?

2015/2016年、私はNATOと共にウクライナに滞在していました。
ウクライナは大きな問題を抱えていました。
ウクライナ軍は非戦闘行為による死傷者が多く、兵士が不足していたのです。
自殺やアルコールの問題で死傷者が出た。
採用がなかなか決まらない。

国連での経験を買われ、協力を依頼されました。
それで、何度かウクライナに行ったんです。
要は、軍隊が住民の間で、また軍隊の中でも信用されていなかったということだ。
そのため、ウクライナは準軍事組織をますます奨励し、発展させてきた。
彼らは右翼の過激派に突き動かされた狂信者である。

日華事変からパールハーバーへ③

アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ 角川ソフィア文庫

 問題が日中間だけに留まるものなら、日本は寛容を装ってでも、大幅な戦略的撤退をしていただろう。しかし、戦争の終結条件を決めているのが中国ではなく大国である以上、日本は行くところまで行くしかなかった。でなければ、生存の条件と教えられた大国の地位を失うしかなかった。
 日本はますます泥沼に沈んでいった。日本は私たちの動きに応えようとしたが、何をしても米英両国から手ひどく叩かれた。ついには、米英と日本双方の動きがあまりにも重層的で目まぐるしくなった。いまからみても、どれが攻撃で、どれが反攻か、ほとんど見わけられないほど複雑である。アメリカの経済制裁は部分的に実施されただけだったが、それでも厳しい神経戦となった。一九四一年七月、アメリカ、イギリス、オランダは共同で各統治領内の日本資産を凍結し、貿易関係を全面的に中断した。
 ここにいたって日本は、満州事変以来脅えつづけてきた最後のときが、ついにきたことをさとった。これら諸国の物資がなければ、日本はアメリカ、イギリス、オランダのいう条件で中国と満州から撤退するしかない。
 日本は、戦うか、三国の条件を呑んで小国に身を落とすか、の決断を迫られることになった。日本の内閣は総辞職した。近衛公が去り、東条大将がやってきて、凍結措置は戦争行為であると無造作にいい放つ。次にくるのは必然的にパールハーバーシンガポールの攻撃である。日本にいわせれば、これは当然の自衛的行為であり、「帝国の存立」をかけた攻撃だった。そして戦争を倫理的に正当化する法的擬制は「大東亜の解放」だった。(p385)