2014-02-02から1日間の記事一覧

鉄砲や砲術、薙刀練習

『歴史街道 2013年7月号』 女性たちはまた、武術習得にも力を入れていた。特に薙刀は会津女性にとって必修であった。八重も前出の回想録で「薙刀も一通りは習いました」と述べている。城下には薙刀道場もあり、女性たちはそこに通った。城下で薙刀の対抗試合…

日新館の教育

『シリーズ藩物語 会津藩』野口信一 日新館とその教育 そもそも会津藩の教育の原点となったのは寛文四年(一六六四)に建てられた、日本初の民間の学校といわれる稽古堂に遡る。公立、藩の建てた学校で一番古いと言われるのは岡山の閑谷学校であるが、稽古堂の…

寺子屋の光景

『寺子屋の「なるほど!!」』江戸教育事情研究会 将軍のお膝元である江戸の寺子屋について述べた資料に、次のような光景が書かれてあった。 「授業中はやかましく、騒がしい声を聞いて、そこが師家であることがわかる。しかし、そうでないときは、そこが師家…

横井小楠の学校弊害論

『日本人をつくった教育』沖田行司 学校弊害論 小楠の名声はやがて全国に広まり、若き吉田松陰(一八三〇~五九)や坂本竜馬 (一八三五~六七)なども教えを請いに小楠を訪問している。あるとき越前福井藩から藩校創設に関する諮問をうけた小楠は、一問一答…

歴史を創る松下村塾

『日本人をつくった教育』沖田行司 松下村塾を主宰した吉田松陰が塾生と親しく膝をまじえて教育したのはたった一年足らずである。後に述べるように、松下村塾は学校としての規模やそこで学ばれた学問内容及び教育システムにおいても、とりたてて特異なもので…

剣術で鍛えた龍馬の胆力

『勇のこと―坂本龍馬、西郷隆盛が示した変革期の生き方』津本陽 剣術で鍛えた龍馬の胆力 龍馬が江戸で剣の修行を積んだのは千葉定吉道場であったとされている。定吉は周作の弟で京橋の桶町に道場を開いていたので、桶町千葉と呼ばれていた。 龍馬はここで相…

中江藤樹の私塾

『日本人をつくった教育』沖田行司 藤樹は教えることよりも、門弟たちが共に自力で学び合う事の意義を重視した。それは、教育というものを「教えられる」ことではなく「学ぶ」ことであると考える藤樹の教育観によるものである。 教師としての藤樹の特質を知…

江戸の子育て

『「江戸の子育て」読本』小泉吉永 日本を訪れた大勢の外国人が、日本人の子育てや教育について書き残している。 時は安土桃山時代、ルイス・フロイスというポルトガル人宣教師が日本にやってきた。彼が日本人の子育てを見てびっくりしたのは、「子どもにム…

乗馬と水泳教育

『江戸の備忘録』磯田道史 江戸幕府を開いた徳川家康は水泳にうるさい教育パパであった。家康は〈天下の主たりとても、常々、練熟せでかなはざるは、騎馬と水泳なり〉(『東照宮御実紀附録』、以下同じ)と言い、〈公達の方々にも、みな仰せたて〉、自分の子…

子供一人一人の発達の度合いに応じた指導

『日本人をつくった教育』沖田行司 寺子屋では寺子の数が一〇〇人を超えても、一斉授業という形態をとらないので、子供一人一人の発達の度合いに応じた指導が可能となる。また、天神机の配置の仕方によっては、先に進んだ子供がおくれた子供を指導するという…

寺子屋の就学期間

『江戸の学び』市川寛明・石山秀和 次に在学期間についてみてみよう(表3)。これによれば、現在の六・三・三制のようなきまった在学期間があるわけではなく、何年寺子屋に在学するのかは、個別の家の事情によっていたことがわかる。地域よりも男女による違…

往来物の実用主義

『日本人をつくった教育』沖田行司 弟の元次郎は数え九歳の天保七年(一八三六)二月六日、初牛の日に「松声堂」に「登山」した。(中略)元次郎の蔵書目録を調査した高井浩によれば、テキストのかなりの部分が師匠が本人に書き渡したもので、その学習順序を…

適塾は自学主義

『日本人をつくった教育』沖田行司 適塾の教育方針は徹底した自学主義である。洪庵が講義をすることは珍しく、学習の基本方針をアドバイスするにとどめ、塾生たちは「ヅーフの間」と呼ばれた部屋に置いてある蘭日ヅーフ・ハルマを引きながら原書を筆写して解…

体罰は武士の誇りを傷つけるものと考えられた

『日本人をつくった教育』沖田行司 武家の子どもの教育では体罰は好ましくないものとされた。誇りを重んじる武士社会にあって、その存在を否定するような体罰は、むしろ武士の誇りを傷つけるものと考えられた。(p41)

薩摩と会津の傑出した力

『龍馬史』磯田道史 薩摩と会津の傑出した力 薩摩藩が陰謀家として疑われるもう一つの理由として、傑出した情報力、そして政局を作っていく力があげられます。まず実行する力があるかないかは非常に大切な点です。慶応期の京都で、いかなる陰謀をも遂行出来…

少年団が人材を作った薩摩

『龍馬史』磯田道史 少年団が人材を作った薩摩 一方、薩摩藩も早くから熊本藩に学び、藩校の「造士館」を作ります。ここから先が薩摩藩の面白いところですが、この藩校で成績が良かった人間ももちろん登用するのですが、それ以外にもふだんの行動を見ていて…

会津藩の人材活用

『龍馬史』磯田道史 会津藩の人材活用 会津藩は、幕末の動乱の八十年ほど前に、天明の大飢饉の直撃を受けました。この藩は最盛期の徳川吉宗時代は十六万人近い人口がいたのですが、飢饉のために三割減って、十万人になってしまいました。この人口減は地獄の…

昔の教育制度のすぐれた特徴

『代表的日本人』内村鑑三 さらに私どもは、同時に多くの異なる科目を教えられることはなかった。私どもの頭脳が二葉しかないことには変わりなく、沢山はないのである。昔の教師は、わずかな年月に全知識を詰め込んではならないと考えていたのである。(これ…