左翼運動家は、なぜ「親米保守」に転向したのか?

『アメリカの日本改造計画関岡英之

森田実 聞き手関岡英之

左翼運動家は、なぜ「親米保守」に転向したのか?

森田 戦後日本は、アメリカの占領下に置かれたものの、政治家に共通する信念としては独立国として生きていきたいという思いがあったはずです。なんでもアメリカに監視され、アメリカにやりたい放題やられるのは困る。そうした思いは官僚たちの中にも強かったはずです。占領下の悲哀があったのです。日本のことは日本が決めたいという思いは、日本人なら誰の心の中にもありました。
 実は、アメリカの圧力に最初に屈したのは、日本の知識人とマスコミなのです。アメリカ側も、日本を操るうえでまず知識人を篭絡することが重要だという戦略で、対日工作をいろいろやった。その一つがフルブライト奨学金制度を使って日本の知識人たちをアメリカに招き寄せ、接待したことです。戦中戦後、日本人は食うや食わずでしたから、アメリカに行っていい環境で生活させてもらい、勉強も思う存分させてもらう。すると、多くの人はアメリカかぶれになってしまったのです。
 戦後、長らく学生運動、左翼運動が盛んでしたが、一九六〇年の安保闘争が挫折してから左翼が一挙に退潮します。戦時中の怨念、占領下の屈辱など、あらゆる情念が六〇年安保で燃え上がりました。安保闘争終了とともに燃焼し尽くして、時代の空気が一変し、安保闘争で逮捕されたり、運動の先頭に立ってきたりした元活動家たちが、学者として再出発するためにアメリカに行こうという風潮になったのです。
 当時のアメリカは、共産党員だった人間は入国させないという建前だったはずなのですが、なぜか元共産党員の日本人を受け入れた。たとえば、東大共産党は党中央と喧嘩して解散させられたので、党員だった東大生は党歴が抹消されていた。彼らは「共産党員だった」と自分から言わずに渡米しました。
 アメリカに留学した学生たちは、やがて日本に帰国した。帰国した彼らがどこに行ったかといえば、大学であり、官庁であり、マスコミです。さらに銀行など財界もそうです。とくにハーバードやMIT(マサチューセッツ工科大学)、エールのような大学に留学した人間が重用されました。
 帰国したら彼らの価値観は完全にアメリカ化していた。私は人間の価値観がこうも変わるものかという強烈な体験をしたことがあります。左翼運動のリーダーだった人間がここまで変わるかと驚きました。共産主義というのは平等主義ですから、虐げられた大衆を幸せにするための運動だと彼らは主張していたのです。自分のエゴは表に出すのを恥じたものです。ところが、その彼らがアメリカから帰ってきたら、完全にエゴイズム擁護に変わっている。「自己の利益のために生きるのが正義だ」「人のために生きるなどというのはバカげている」と主張する。いかにアメリカが違った価値観の国かということを、私はつくづく感じたものです。学者もジャーナリストも、アメリカに留学すると、ほとんどの人が価値観が変わってしまった。その影響を受けて官僚や政治家、そして一般の日本人の価値観もアメリカ化していった。知識人から洗脳していったアメリカの対日戦略は大成功だったといえます。

(中略)

――最初は知識人が洗脳され、政治家も中曽根さんあたりから完全に精神的な武装解除をされたというお話でしたが、官僚についてはどうなのでしょうか。昔の通産省(現経済産業省)には出光興産など民族系メジャー(石油資本)を育成しようとした民族派がいましたが、いつごろから日本の官僚が従来システムに組み込まれていったのでしょうか。

森田 官僚の供給源は旧帝国大学ですね。旧帝大で教育らしい教育が行われなくなったのは、団塊の世代が起こした学園紛争の結果でした。日本の歴史でこれほどの教育上の大損害はありません。高等教育を徹底的に破壊してしまった。破壊の結果、何が起こったかというと、官僚支配です。文部省(現文部科学省)という最悪の官僚集団が実権を握ってしまったのです。学生の極左行動によって大学の自治、学問の自由がなくなったのは実に皮肉ですが、その最悪の帰結が大学管理法の制定と文部省支配の確立でした。人間の価値はなんといっても謙虚さです。謙虚さの片鱗もないのが文部官僚です。他の官庁でも慇懃無礼な官僚はいますが、文部省は率直に言って一番謙虚さに欠けている傲慢な人間が入省した官庁です。それに、昔から文部省には傲慢な文化がありました。そんな官僚集団が教育行政の実権を握った。危ないことになりました。独立右翼よりもっと悪い従米右翼だから困ったものです。
 文部省の指導のもとに教育は崩壊した。その崩壊を促進したのがアメリカ留学です。とくにアメリカでマインド・コントロールされた東北部の大学出身の学者が大学教授になり、それに育てられた学生が官庁に入る。官庁に入って一定の指導者になるには三〇年くらいはかかります。その間、彼らもアメリカに留学する。一九八〇年代までは、学園紛争以前のまともな高等教育を受けた人たちが官僚の指導的世代でした。彼らはアメリカの圧力と可能な限り闘った。アメリカに抵抗する官僚は、アメリカが自民党に圧力をかけて潰しにかかります。通産官僚を中心にして相当アメリカに抵抗したのですが、結局アメリカと自民党によって潰されてしまいました。一生懸命に国益のために闘っているのに潰されてしまうのでは、だんだんバカらしくなって、アメリカに逆らおうとしなくなりました。いまの中央官庁の役人は従順です。
 民族派の官僚は潰された。そのうえ、今度は学園紛争後に育った従米派の官僚との世代交代が起きた。これがだいたい一九九〇~九五年に起きたことです。「年次改革要望書」が出たのは一九九四年ですから、時期的にも符号しています。

――おっしゃる通りで、一九九三~九四年は、今日までつながる、いろいろ不可解な現象が起き始めた時期です。「年次改革要望書」が始まり、対日投資会議ができ、オリックス宮内義彦会長が規制改革の旗振り役として政府に登用されたのもこのころです。