アニミズム

一神教の闇』安田喜憲

 私は一九九〇年にアニミズムルネッサンスを提唱した。国際日本文化センター(以下、日文研と略)の英文ニュース・レターに、「アニミズムルネッサンス」というエッセイを書いた。それ以前にアニミズムについては、岩田慶治氏の『アニミズムの時代』(法蔵館、一九九三年)と梅原猛氏の「アニミズム再考」(日本研究第1集、一九八九年)の研究があった。これらは日本語で書かれていたが、英語でアニミズムルネッサンスと正面から打って出たのは、私のエッセイが最初となった。
 すると、出るやいなや世界中から反論がきた。たとえばアイルランドの日本研究者イアン・リーダーは「安田は、キリスト教を中心とする一神教の文明が、平和で穏やかなマヤ文明やアズテク文明を滅ぼしたと言う。マヤ文明やアズテク文明は自然を崇拝し、アニミズムの世界に生きた平和な文明だったと述べているが、アズテク文明のどこが平和なのか。あの文明は、太陽に人間を生贄として捧げていたではないか。そんな文明が、なぜ平和で穏やかなのか」というのである。
 同じような論調は、アメリカやオーストラリア、ニュージーランド、ドイツからも寄せられた。ちょうど日文研が設立された直後だったので、「こんな人間を日文研に置いておくとはけしからん」「国際的な研究機関に、こんな人間を助教授で置いておくのは問題だ」と激しい抗議が来たのである。こうして多くの批判が来てみると、今まで友だちだと思っていた人の中には、冷たい対応を示す人が出てきた。
 もっとも驚いたのは、抗議への反論を同じニュース・レターに載せようとしたところ、同僚からも激しい批判が寄せられたことである。それは私にとって、「攻撃」とも受け取れるものだった。すなわち「アニミズムルネッサンスといって生贄を復活しようとしている安田は、危険思想の持ち主だ」と言わんばかりなのだ。私は本当に孤立したが、それでも反論を書いた。ところがその反論も、三度の書き直しを命じられたあげく、掲載を拒否されてしまったのである。その趣旨は、以下のようなものだった。
 たしかにアズテクの人々は太陽に生贄を捧げた。なぜ、彼らは太陽に人間の生贄を捧げたか。それは、毎日毎日、太陽は東の空で生まれ西の空で死ぬ。こうしたことを何回もくりかえしていると、ついには太陽の力がなくなると彼らは考えた。そこで、人間の真っ赤な血を捧げ、太陽の力を復活させたいと考えた。生贄になる人は、自然の循環系、自然の調和を維持するために自分は選ばれて、自分の生命を捧げることで現世的秩序が持続できると、喜んで死んでいった。もちろん、そんなことを現代にそのまま復活する必要はどこにもない。いくら選ばれたとはいえ、生贄になって殺されていった人々の哀しみは、大きい。私は、その生贄の儀式を復活せよなどと主張しているのではまったくない。自然の秩序を維持するためには、時には人間さえ犠牲にならなければならないという心を理解し、太陽の恵みに感謝する心を復活せよと主張しているのである。生贄の儀式はいくらでも代用できる。たとえば人間の代わりに人形を代用することは簡単である。要は、その太陽の恵みと自然の循環に感謝する気持ちを取り戻せと主張しているのである。
 生贄という残虐な行為のみをとりあげて、アズテクの文明を「野蛮で残虐で恐ろしい文明だ」というイメージを植え付けたのはキリスト教徒だった。だがキリスト教徒は、それ以上に野蛮で残虐で恐ろしい側面を持っていたのである。アズテクの文明が繁栄していた頃、私を批判したイアン・リーダーが住んでいるアイルランドでは、いったい何が行われていたかをみれば、その残虐性はすぐわかる。

「魔女」の哀しみがわかったとき

 その時代に、ヨーロッパでは魔女裁判の嵐が吹き荒れていた。数多くの女性が魔女として処刑された。それは、「法律」によって手続きを踏み、逃れられない状態に女性を追い込むというものであった。この魔女裁判は、自分たちが置かれた環境によってもたらされる苦しみからの解放をもとめて、その苦しみを弱い者にぶつけることによって心の平安を取り戻そうとして行われたものだった。その結果、社会的に弱い立場に置かれていた女性が魔女として大量に殺されたのである。
 魔女が誕生した背景には、ヨーロッパを襲った小氷期と呼ばれる気候悪化があった。十七世紀のヨーロッパは一六二〇年頃をピークとして、オランダの運河が凍りつくような非常に寒い時代だった。そのとき、ヨーロッパではブドウが獲れなくなった。ブドウはもともと地中海の暖かい気候に適した植物である。ドイツでは気候が寒冷化してブドウが不作になった。
 しかし当時は、ヨーロッパの森は徹底的に破壊されていた。十七世紀の段階で国別に見ると、イギリスでは九〇パーセント、ドイツでは七〇パーセント、スイスでも九〇パーセントの森が破壊されていた。花粉分析の結果は、小氷期の寒冷期のピークの時に、森林の面積がもっとも少なくなっていることを明らかにしている。
 森林がなくなると、まず薪の燃料が高騰する。農民たちは薪の燃料が高くなるので、刈り取ったあとの麦藁を家にもってきて燃やしてしまう。本来、麦藁は翌年の畑のための肥料になるものである。それがなくなるのだから、地力が落ちる。土地が痩せるために、コムギの収穫高が減るという悪循環に陥る。
 やがて薪の値段の高騰に少し遅れて、今度はコムギの価格が上昇する。そのため都市ではパンの値段が上がらざるをえなかった。そこへ、小氷期と呼ばれる気候悪化が直撃したのである。氷雨や雪が多く降り、寒冷な冬がやってきた。
 ところが薪が高騰しているので、貧しい人々は毛織物の衣服を十分に乾かすだけの薪が買えない。このためノミが大発生した。十分なパンを食べられず栄養失調によって免疫力が低下しているところへ、そのノミによってペストが大流行することになったのである。この危機の時代に、じつは魔女裁判が起こった。
 イギリスの気候変動と魔女の数を調べると、年平均気温が急激に低下した寒い小氷期のときに、魔女の数が激増していることがわかる。なぜ、そういうことが起こったのか。モーゼルワインで有名なドイツのモーゼル川のほとりのブドウ畑を歩いていたら、黄色い立て札が立っていた。なにげなくそれを見ると、驚愕する事実が書かれていた。
 「一六二〇年に気候が寒冷化して、ブドウが獲れなくなった。ブドウが獲れなくなったのは、このマリーという風変わりな行動をする天候魔女のせいであるとして、マリーを魔女裁判にかけて処刑した」というのである。「彼女が天候魔女だから天気が悪い」――これが魔女裁判の原点である。
 つまり、天気が悪いことを、ちょっと風変わりか、とりわけ美しいか、あるいは貧しいか、または他人にねたまれるほど金持ちの女性のためだとして、女性を断罪したのである。ジャンヌ・ダルクさえも風変わりな女性として魔女裁判にかけられ、最後は火あぶりの刑にされた。ワーベルン村に近いトリーアの町では、十七世紀だけで実に千人ほどの女性が魔女として処刑されたといわれている。
 それは、イエスマホメットという男性を神として崇拝し、父性原理を重視する一神教の世界の闇がもたらしたものであった。一神教は女性原理を弾圧する闇をもっている。アフガニスタンタリバン政権の下で女性が弾圧され、それをあたかもキリスト教徒の欧米軍が解放しているかのような錯覚を持っている人が多い。しかし、森で誕生した母権制の大地母神の文明の伝統を受け継ぐ女性原理を弾圧するのは、なにもイスラム教徒だけではない。キリスト教徒も、かつては魔女裁判という形で弾圧していたのである。
 アズテク文明のように太陽に生贄を捧げることは、野蛮である。しかし、そこで生贄になった人は、数千人という数にも達しない。ところが魔女裁判では、それよりはるかに多くの女性が犠牲になっている。
 これまでの文明論は、現世的秩序の維持のためにアニミズムの心を持ち、生贄を捧げる多神教が野蛮であり、超越的秩序の維持のために、自らの主義主張大義名分を振りかざして殺人を正当化する一神教こそが文明であると主張してきた。しかし、それが明らかな誤りであることは、もはや誰の目にも明らかになりつつある。
 初期の段階では、たしかに人間の生命を奪っていた。だから野蛮だというのではなく、その現世的秩序を守るために自ら喜んで生贄になるという心が重要なのである。地球の生きとし生けるものの調和の世界を守ろうとする行為に現されている心は気高いと言わざるをえない。
 くり返すまでもないが、私は、「何も太陽に生贄を捧げることを復活しろ」とは一言も言っていない。それは儀式であるから、人間の代わりに動物を、動物の代わりに人形を、あるいは人形の代わりに、みなが一生懸命、自然を守り現世的秩序を維持しようという心をもてればいい。儀式の方法は、いくらでも変えることができる。