日本の目覚め

『日本の目覚め』岡倉天心

 最近まで、西洋が日本をまともに取りあげたことは、一度もなかった。それが、おかしなことに、われわれが諸国民のあいだに地位をしめようとして成果をおさめた今日、それらの成果が、多くの西洋人の眼には、キリスト教世界にたいする脅威と映っているのである。ふしぎの国では、どんなことでもおこりうる。空想が未知のものを描くとき、そこには誇張がつきものである。世界は、新生日本に、一方では猛烈な非難を、他方ではばかげた賞賛をあびせた。われわれは近代進歩の寵児となり、同時にまた、おそるべき異教の再生――黄禍そのものとなった。

 


 学問はすべて興味深いものだが、なかには、かえって無知を奨励するような傾向のものもある。徳川時代の学校の唯一の教科課程をなしていた、仏教儒教の学習課程がそうであった。

 


 サムライは、剛勇を当然のこととしたから、無用の冒険をみずからもとめることをしなかった。彼が死地におもむくのは、盲目的な狂熱によるのではなくて、おのれに要求されることをはたそうとする断固たる決意からであった。

 


 多くの東洋民族にとって、西洋の到来は、まったくの幸福とはけっしていえなかった。彼らは、通商の増大を歓迎する気でいるうちに、異国の帝国主義の餌食になってしまった。彼らは、キリスト教宣教師の博愛的な目的を信じて、この軍事侵略の先ぶれに頭を垂れてしまった。彼らにとって、この地球はもはや、枕を高くして眠っておれる平和な場所ではない。ヨーロッパ諸国民の罪悪感が黄禍の幻影をよびおこしたとするならば、アジアの苦悩する魂が白禍の現実に泣き叫ぶのは、当然ではなかろうか。

 


 西洋は進歩を信じているが、いったい、何にむかっての進歩であろうか?アジアは尋ねる――完全な物質的能率がえられたとして、そのとき、いかなる目的がはたされたというのであろうか?友愛の熱情がたかまり、世界の協力が実現されたとして、そのとき、それは何を目的とするのであろうか?もしそれが、たんなる私利私欲であるならば、西洋の誇る進歩は、はたしてどこにあるのか?
 西洋の栄光には、不幸にしてこの裏面がある。大きいだけでは、真の偉大ではない。贅をつくした生活が、すなわち文化であるとはいえない。いわゆる近代文明を構成する個人は、機械的慣習の奴隷となり、みずからがつくりだした怪物に容赦なく追いつかわれている。西洋は自由を誇っているが、しかし、富をえようと競って、真の個性はそこなわれ、幸福と満足は、たえずつのってゆく渇望の犠牲にされている。西洋はまた、中世の迷信から開放されたことを誇っているが、富の偶像崇拝にかわっただけのことではないのか?現代のきらびやかな装いのかげにかくされている、苦悩と不満はどうなのか?社会主義の声は、西洋経済の苦悶――資本と労働の悲劇――の声にほかならない。

 


 日本では、熱烈な愛国者たちが中国の義和団のように熱狂的に「攘夷」を叫んだのは、五十年前のことであったが、今はそのかげさえない。以来わが国の政治生活におこった大変革と、外国との接触によってえた物質的利益のために、西洋にたいするわが国民感情はまったく一変し、祖父たちが何であのように西洋人に敵意をいだいたのか、理解にくるしむほどになってしまった。それどころか、アジア文明のかわりにヨーロッパ文明と提携しようとするわれわれの熱心のあまり、大陸の隣人たちは、われわれを裏切者、いや、時には白禍そのものとさえ見るにいたった。

 


 フランスがトンキンを「保護国」とした一幕は、あえていう必要もあるまい。「保護国」という。だがいったい、だれから保護するというのか?

 


 アジアが旧式だったとしても、ヨーロッパは公明正大だったろうか?中国がその頭をもたげようとしたとき、ふみつけられた虫が苦しさのあまりのたうちまわったとき、ヨーロッパはただちに黄禍の叫びをあげたではないか。まことに、西洋の栄光はアジアの屈辱にほかならない。

 


 わが国の兵役制度は、国民の愛国心をつよめるうえで、何よりも成果をあげた。それはじっさい、庶民を一人のサムライにかえてしまったのである。徴兵制度は、日本では、封建制度のはじまるずっと以前におこなわれていたのであって、その制度が一八七〇年にドイツおよびフランスの方式で復活したにすぎない。
 現在の制度によれば、二十歳に達したすべての男子は、三年間の兵役に服する義務があり、その後、予備役および後備役として、それぞれ五年間の服役義務がある。非常の場合には、全国民が召集されることもありうる。専門の学校や大学で養成される士官は、ほとんど士族の出であって、彼らの伝統的な生活態度は全軍隊に浸透していった。何世紀にもわたる社会的差別のために、武士階級は一般国民の眼には栄光ある存在と映ってきたが、それにくわえて、この五十年間、世間の物語や演劇が愛国的兵士を理想化してきたこともあって、農村青年は、徴集されて軍隊に入ると、格があがったように思い、また周囲もそう見るのである。今や、男子のほまれ、剣士となった、というわけである。彼は、小学校教育のおかげでかなり知力も高く、すぐに兵術をおぼえ、武士道の真髄である義務の観念を身につける。はじめのうちは、それまでの平和な生活のために、その勇気について疑うむきもあったが、兵火の洗礼をうけた農民兵は、もっともすぐれたサムライにもおとらぬことを実証した。

 


 わが国の古典文学では男性の作者よりも女性のすぐれた作者の方が多いし、封建時代には、もっとも勇敢な鎌倉武士と肩をならべて進撃した女丈夫もいた。時代がくだって、儒教の教えが社会慣習の形成に影響をおよぼすようになるにつれて、女性は公共生活からしめ出され、中国の聖賢が女性本来の領域と考えたところの、家庭にとじこめられた。
 しかし、女性の地位にたいする古来の尊敬は、いぜんとしてうしなわれず、一六三〇年には、女帝の名正天皇が父祖のあとをついで皇位についた。維新後にいたるまで、剣術、柔術のような武技の心得は、サムライの娘の教育の一部と考えられてきたし、今でも多くの旧家ではそう考えられている。

 


 日本の芸術は過去のものになるのではないかと、西洋の美術界は同情し、懸念している。彼らに知ってもらいたいことは、わが国の芸術が近代生活のまったく功利的な傾向になやまされているだけでなく、西洋思想の侵入にもくるしんでいる、ということである。西洋の市場はいかがわしい芸術品をもとめ、そのことが、われわれの趣味にたいする不断の非難とあいまって、わが国の芸術の個性に影響をあたえた。われわれの困難は、日本の芸術が世界に孤立していて、同種の理想や技法と直接ふれあうことも、助けあうこともできない点にある。かつては中国の芸術が、われわれの競争心を刺激し、新たな努力へとわれわれをかりたてたが、今日の中国にはもはやそのような芸術はない。
 他方では、不幸にも、東洋文明につながるものはいっさい軽蔑する一般西洋人の態度が、美的規準についての日本人の自信をうしなわせる傾向にある。われわれの努力を高く評価してくれる西洋の鑑定家も、西洋一般がたえず西洋文化、芸術の優越性を説いているのを深く考えていないかのようである。われわれのうちの心弱いものが、世論の趨勢におされて、保守的な民族派から脱落してゆくのも、当然である。わが国の一部上流子弟がロンドン仕立ての最新型の洋服、パリの最新流行をよろこぶのも、
東洋の風習をさげすむ一般的気風にたいする、あわれむべき保護色的努力のあらわれの一つである。
 日本の芸術は、優勢な敵に対抗して、よく自己をまもり、おどろくべき成果をあげてきた。われわれは、この四十年間、圧倒的な欧化主義のなかで発揮された強靭な活力が、将来も日本の芸術をまもってゆくことを信じ、希望するものである。民族的自信の増大は、民族的理想の保持に強い影響をあたえる。十年前清国に勝って以来、自国の風習、芸術を再評価する動きがあらわれた。われわれは、清国以上の強敵にたいする勝利によって、さらに強い自信がえられることを期待する。われわれは、西洋があたえるものを今後もすすんで学び、吸収してゆくであろうが、しかし、自己本来の理想に忠実であってこそ、世界の尊敬もえられるのだということを、忘れてはならない。

 


 十三世紀にモンゴルが侵略をくわだてたが、このときモンゴルの道案内をした朝鮮にたいして、われわれは敵意を燃やした。しかしながら、朝鮮にたいするわれわれの報復行為は、太閤秀吉の遠征があるだけである。彼は、十六世紀に、彼が宿敵と考えた朝鮮人と戦うために軍隊を送ったのであった。しかし国民感情は、外国遠征といった考えにはすでに共感を示さなくなっており、太閤の軍隊は、彼の死後ただちに召還された。この例外的な遠征の唯一の結果は、つぎの徳川時代を通じて、将軍の代替わりごとに、従属国の王としての敬意をあらわすため、朝鮮国王から使節が派遣されてくることであったが、これは、中国の皇帝にたいしても同様におこなわれていたのである。この儀礼は、王政復古のころまでつづいたが、われわれは、そこにふくまれている権利を利用して大陸の政治に干渉しようなどとは、一度も考えたことがなかった。それどころかわれわれは、世界の他の国々から完全に孤立していることを誇りとし、太閤遠征以後たえていた中国との外交儀礼を、復活しようともしなかったのである。

 


 「黄禍」を語るのはだれか? 日本の援助をうけた中国が、大軍をヨーロッパにむけるかもしれないという考えは、「黄禍」を口にすることによって注意をそらそうとする事情がなかったならば、あまりばかげていて、一顧にもあたいしないであろう。

 


 いつの日に戦争はなくなるであろうか? 西洋では、国際道徳は、個人道徳の到達したところにくらべて、はるかに低いところにとどまっている。侵略国は良心をもたず、弱小民族迫害のために騎士道はすてて顧みられない。みずからをまもる勇気と力のないものは、奴隷になるよりほかない。悲しいことに、われわれが真にたのむことのできる友は、今なお剣である。ヨーロッパが見せるこの奇妙な組合わせ――病院と魚雷、キリスト教宣教師と帝国主義、膨大な軍備と平和の維持――これらは何を意味しているのか? このような矛盾は、東洋の古代文明には存在しなかった。そのようなものは、日本の王政復古の理想でもなく、維新の目的でもなかった。われわれを幾重にもつつんでいた、東洋の夜のとばりは揚げられた。だがわれわれの見る世界は、いまだに人類(ヒューマニティー)の夜明け前である。ヨーロッパはわれわれに戦争を教えた。彼らは、いつ、平和の恵みを学ぶのであろうか?