学歴貴族の栄光と挫折

『日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折』竹内洋

 そもそも左傾学生がどのくらいいたかということになると、かなり疑問である。大正末期から昭和初期の新潟高校調査では、生徒一二九〇人のうち左傾学生十数名としている。一パーセントにも満たない。ヘンリー・スミスは、新人会の会員数は東京帝大生の三パーセントを超えないとしている。しかもその多くはR・S(Reading Society)といわれる読書会を中心としたもので、労働争議などに出かけ実践活動したのは、微々たるものだった。(p242)

 


 調査をおこなった教育学者がこの調査結果からつぎのような意見を書いている。意見は昭和十八(一九四三)年という軍国主義の風潮のなかで書かれたものであるが、それだけに旧制高校教養主義の特徴をいいあてている。
 (旧制)高校生はプラトンを身近に感じているにもかかわらず、本居宣長のような人をはるか昔の人と考えているようだ。わが国の古典については中学校のときの教材ぐらいにしかみなしていない。そこに流れる豊かな思想を眺めない。「このような教養の把捉は明らかに主客顛倒であって、かかる教養には植民地的文化の匂いがつきまとうのである」、と。
 旧制高校生の教養が「植民地的文化の匂い」がするといわれるのも無理はない。旧制高校生の読書は和書となると古典はきわめて少なく、現代ものが多い。それに比べて、西洋の翻訳書になると古典の割合が高いからである。(p261)

 


 軍人の読書や教養については作家丸谷才一のつぎのような指摘がある。軍人たちは、漱石の小説や河上肇吉野作造の論文を読んでもピンとこなかった。西洋への反感が非常に強かった、と。軍人たちは旧制高校的教養の世界とは疎遠だった、というのである。(p268)

 


 あえて読書といえば、軍事専門の本の読書が一般的で、それ以外は、『大儀』(杉本五郎)や幕末志士の著作物を集め、陸軍士官学校生徒隊が編集した『武教教本』(橋本左内「啓発録」、山鹿素行「武教小学」などを収める)や『葉隠』だった、と。氏の時代は戦前期だったが、その前の世代については、吉川英治山中峯太郎大川周明徳富蘇峰著作物といったところと聞いている、とのことである。(p269)

 


 昭和二年に陸軍士官学校を卒業し、のちに二・二六事件にかかわった末松太平もこんな逸話を書いている。士官学校予科時代のことである。帝国大学を出たばかりの教師がいた。
 この教師が「学校の中隊長からマルクス人口論って何ですか、と聞かれましたよ。マルクスマルサスの区別がつかないんですからね」といって教壇上で将校の没常識を揶揄したが、それを聞いた生徒の側でもこの揶揄がピンとこないものが多かった。……マルクスマルサス異同の揶揄は、学校の将校にだけでなく、生徒に向けての忿懣でもあった。……この一例は当時の軍人の一断面図を露呈したものだった。
 ここでいう軍人や軍学校生徒の「没常識」は、帝国大学出身者つまり旧制高校出身者の常識が欠如しているということである。(p270)

 


 旧制高校生は、軍人を「ゾル」(ドイツ語のゾルダート=兵士による)と呼んで嫌った。高校生の軍人嫌いは「生理的なものに近かった」という人(和田良信)もいる。(p272)

 


 そして、戦後日本における教養主義マルクス主義といちじるしく接近した。マルクス主義によって、旧制高校的エリート文化が軍国主義に抗しえなかったという弱点を埋めることができた。(p302)

 


 知識人やインテリという言葉が死語に近くなったのは、大学紛争後の昭和五十年代からである。知識人やインテリという言葉の死滅と教養主義という言葉の死滅の時期が重なるのは、それがともに圧倒的な農村社会を後背地にしていたからである。フリッツ・リンガーはいう。読書人階層、つまり教養知識人が社会において有力な地位をもつことができたのは、歴史的に限定された時代、経済の編成が農業を中心とする時代と工業を中心とする時代との「中間期にある時」であり、その時に知識人が繁栄を謳歌する、と。(p317)

 


 学生たちは支配的正統文化である学歴貴族文化に接近し、同化したいという知的スノビズム純化、徹底することでかえって学歴貴族文化を内部から支えた「文化的善意」(ピエール・ブルデュー)を棄却することになる。ここで文化的善意というのは、支配的文化をモデルにして、それに少しでも接近し、追いつこうとする崇拝心であり、権威主義である。大学生は文化的善意を棄却することによって、亜知識人として居直ったともいえる。そうすることで教養が象徴的暴力を押しつける権力とそれを受け入れる者たちの共犯から存立することを白日の下に晒した。そう、ピエール・ブルデューはいっている。「教養のある文化とかなり接近したために、つまらない話題を口に出せなくなり、言ってはならない事柄をあれこれ知るようになるのですが、かといって語るべきことが他にあるわけでもない」、と。
 大学紛争は、学歴貴族文化への愛憎併存のコミットメントという点で、学歴貴族文化という蝋燭の火が消え入る直前の光芒一閃のような事件だった。全共闘運動は学歴貴族知識人への糾弾と失望によって、学歴貴族文化の幻想を駆逐し、教養主義を脱出する。脱出したことで、全共闘運動はルサンチマンから遊戯性へとパフォーマンスの面を露出していく。(p324)