閃きと肉づけ

ドストエフスキー全集10 白痴(Ⅱ)』

解題 木村浩

 「さて、私の状況は次のようなものでした。私は仕事をし、かつ苦しみました……貴兄は創作するということがどんなものか、ご存知でしょうか? いや、貴兄は幸せなことに、注文によって、ものさしを当てたような仕事はなさらなかったから、この地獄の苦しみは味わわれなかったことと思います。≪ロシア報知≫から莫大な金を前借して(なんと四千五百ルーブルです!)私は年のはじめにはよもや詩興(ポエジー)が自分を見放すなんてことはあるまい、詩的な想いが閃いて、年の終りにはすばらしく展開していき、みんなを満足させることができると期待していました。いつも頭の中にも心の中にも芸術的な想いが次々に閃いて、その存在を感じさせていたので、なおのことそれはむずかしくないような気がしていたのです。しかし、閃くばかりではだめで、その完全な肉づけが必要なのです。それはいつも思いがけずに起るもので、いつやってくるか計算するわけにはいかないのです。そして、それが訪れてから、心のなかにその完全な形象を掴まえてから、芸術的な創作に取りかかることができるのです。そこではじめて、もう間違いなく先ざきを計算することができるのです。」(p366)


 「私は(芸術における)現実というものについて独特の見解をもっています。大多数の人びとがほとんど幻想的なもの、例外的なものと見做しているものが、私にとっては時として現実の真の本質をなしているのです。現象の日常性や、それに対する公式的な見解は、私にいわせると、まだリアリズムではありません。毎日の新聞をみても、極めて現実的な事実と、極めて奇怪な事件のニュースがのっています。われわれ作家たちにとって、それは幻想的なものであって、作家たちはそれを相手にはしていません。ところが、それこそが現実なのです。なぜなら、それは事実だからです。では、いったい誰がそれを認め、解明し、描写するのでしょうか?……果して私の幻想的な『白痴』は、現実、それも日常ありふれた現実ではないでしょうか! 全く今こそ大地からもぎとられたわが国社会の各層に、こうした性格が当然生れるべきなのです。これらの社会層は現実に幻想的なものになりつつあるのですから」(p371)