読むたびに新しい発見

『歴史と出会う』網野善彦

――古典を読むときに、現代と違う時代に生まれたものだということをかなり意識しておられますか。
網野 いいえ、そうではないですね。つまり、何をもって「古典」というかたいへんむずかしいことかもしれませんが、私は現在の関心で読んでおり、読むたびに新しい発見をします。そのように、いつまでも生命を持っているのが古典なのでしょう。
 それから、学者の本を読むとき、なるべく年次を追って読むことも大事だと思うんですね。人の意見はどんどん変わっていくのは当然ですね。研究の道筋とその人の生き方との関わりを追いかけていくことは、ひとりの人間とその人の学問を理解するのに重要ではないかと思いますね。
 たとえばマルクスは若いころ、中国・インドの共同体論でインド社会の停滞について、手工業と農業とが相互に補完した共同体が根強く壊れないことが「アジア的停滞」の根底にある、ときびしく指摘しており、中国についても同じことをいっていますね。そしてイギリスがインドを支配したことによってそうした共同体が破壊されていきつつある、その破壊によってどんなに惨憺たる状態が起こったとしても、それはインド社会の停滞を打ち破ることになる、といっていたと思います。だから間違いなく共同体を社会の発展を停滞させる否定的な方向でとらえている、といっていいでしょう。
 ところが晩年、ザスリッチへの手紙では、ロシアのミール共同体をむしろ肯定的にとらえており、社会主義の基礎になるかもしれない、といいかねないほどの論調が出てきます。全く意見が変わっているのです。
 ほかにもマルクスはいろいろなことをいっていますね。ことに『フランスにおける内乱』や『ルイ・ボナパルトブリュメール十八日』で彼がいっていることは、公式になるような話じゃない。いろいろな人間に対する理解や政治的な事柄についての非常にシャープなとらえ方がいっぱいあるわけで、ああいうものが私は面白かったです。『資本論』だって、第一巻は読み物になりますよ。これをもう一度読み直してみたいと思うんですけど、もう時間がなさそうですね。(p69)


 若いころ、わけもわかっていない概念を駆使して、適当な理屈を組み立てて人を説得したり、論争したりすることに喜びを見いだしていた時期があったのですが、そういう自分が徹底的にいやになった時期がありました。それまで自分の言っていたことが空虚だったことがわかってきました。……
 しかし私は若かったせいもあって、一時は完全に落ち込みましたが、どうやら自分が全くなにもないのだという自覚で持ちこたえることができました。ひとりではできなかったと思いますが、妻にも支えられて、全部最初からやり直し始めたんですよ。本もみな最初から読み直しました。最初に読み直したのが『マルクスエンゲルス選集』。それは勉強になりましたね。いままで僕が勝手に理解していたのと全然違うマルクス像、エンゲルス像が浮かび上がってきました。(p99)


『「日本」をめぐって』網野善彦

網野 私は、一九五三年、それまで観念的な「マルクス主義」にもとづいた運動を行っていたことに気づき、運動から落ちこぼれて身を引いたあとに、マルクスエンゲルス選集をあらためて読み直していましたが、そのなかで、晩年のマルクスの「ヴェラ・ザスリッチへの手紙」などを読んでみて、マルクス自身が単純な進歩史観ではないことを知り、自分自身の考えの一つのよりどころにするようになりました。

小熊 マルクスが原始共同体について述べた文章ですね。(p153)