武辺の意地

『江戸の思想史』田尻祐一郎

 一七一九(享保四)年、徳川吉宗の将軍職就位を祝って、洪致中を正使とする通信使(一行は全部で四七五人)が日本を訪れた。四月にソウルを発って、関門海峡から瀬戸内海を山陽道に沿って進み、大坂から陸路を行って十月に江戸に着き、翌年の一月に帰国、復命(国王への正式な報告)をしている。その時、製述官として随行したのが申維翰という人物で、その紀行文が『海游録』である。そこには日本の説明として、
  国に四民あり、曰く兵農工商がそれである。士はあずからない。
と述べられていた。「兵農工商」とは耳慣れない表現であるが、「士」という自負をもつ申維翰からすれば、日本に「士」はいない。
 いわゆる儒者は、学ぶに詩文をなすが、科挙試験による仕進の路がない。ゆえに、ようやく声誉を得たところで、各州の記室にとどまる。
 科挙の制度がないから、儒教を学んでも、せいぜい古文書の起草や管理を任されるくらいのところだというのである。こうして儒者が権力から遠いところに置かれるということは、日本の秩序が「文」や「徳」(学問や道徳)に拠っているのではないことを意味している。街道筋や町中で、朝鮮通信使を見物する群衆が整然と秩序だっていて、「一人として妄動し路を犯す者がない」ことに注意しながら、申維翰は、それをこう分析している。
 これは、礼教があってかくの如くに治まったものではない。国君(将軍)と各州太守(大名)の政がもっぱら兵制から出ており、大小の民庶が見て習ったのも、一に軍法の如きものである。
 これは、見物人の振る舞いについてのみ言われたものではないだろう。秩序だって見える日本社会の構成が、「文」や「徳」とは無縁の軍事的な性格、「士」を必要としない野蛮さで支えられていることを言っている。(p40)


 中世武士の思想
 武士は、戦闘を職能とする武装自弁の集団として登場した。「兵」は武具を与えられ、コマとして動かされる者であるから、両者は同じではない。それはともかく、中世の武士たちは、「弓矢取る道」「武者の習」などと呼ばれる独特な規範をもつようになっていた。「名」を重んじて「恥」を恐れ、軍功を競い、同輩に後れをとることを嫌う。それは「武辺の意地」を立てる、「おのれの一分」を立てるというような剛直な精神でもあって、その社会的な基盤は、在地に根付いて館を構え所領を支配し、一族郎党を抱えて武士団を作っていることにあった。所領の支配については独立して不可侵であり、誰の干渉をも許さない独立性を誇った。
 このような武士によって政治が運営される中から、法体系は「道理」に基づくべきものであり、政治家は公平・無私であれというような思想が生まれてきた。最古の武家家訓である「北条重時家訓」(十三世紀中頃の成立)には、一族郎党を率いるべき武士の理想の姿が、「仏・神・主・親に恐をなし、因果の理を知り、後代の事をかがみ(かんがみ)、凡て人をはぐくみ〔中略〕心剛にて、かりそめにも臆病に見えず、弓箭の沙汰ひまなくして、事に触れてなつかしくして、万人に昵(むつ)び、能(よ)く思われ、皆人ごとに漏さず語(ことば)をかけ、貧げなる者に哀みをなし、妻子眷属にいたるまで、常にうち咲(わらい)て、怒れるすがた見ゆべからず」と描かれている。超越者への畏怖、物事への洞察、武士としての強み、周囲への配慮、人間的な魅力…これらを兼ね合わせるのが、あるべき武士の棟梁なのである。
 「文」や「徳」に依拠する東アジアの正統的な価値観からすれば、戦闘者の世界から独特の思想が生み出されてくるなど、およそ考えられない。しかし日本では違っていた。武士はいつまでも単なる戦闘者ではなく、為政者でもあったからである。(p42)


 素行が儒教の専門的な学者であり、かつ兵学者でもあったということに、まず注意しよう。中国や朝鮮の伝統では、『孟子』に「労心者治人、労力者治於人、治於人者食人、治人者食於人、天下之通義也」(心を労する者は人を治め、力を弄する者は人に治めらる、人に治めらる者は人を養い、人を治むる者は人に養わる、天下の通義なり)とあるように、知識労働と肉体労働の面とは厳密に区別されて、交わることのない別世界である。兵学は、軍略として知識労働の面とともに、兵器の操作をはじめ、実地の訓練、技術の修得という身体的な面を兼ねた実用の学であって、江戸の学者が、多かれ少なかれこのような実用の学を身に付けているということは、江戸の思想史にとっても重要な要素であろう(後に医学の問題にふれる)。(p44)


 素行が自らの思想遍歴を明らかにした書である『配所残筆』を見てみよう。そこに溢れるのは、自分たちは武士だという強烈な自覚である。…
 道徳や教養に優れた人格が、世を治め民を安んじるのではない(儒教ならそう考える)。「武士の門に出生」した者は、世を治め民を安んじる責任があるから、「身を修」めなければならないのである。武士は、自分のことだけを考えるのではない、武士としての交際があるし、一身の嗜み、礼儀作法から統治の担い手としての教養や技能まで、武士として身に付けておくべき「わざ」も多い。
 では、あらためて武士とは何かと質問したなら、素行はどう答えるだろうか。…
 社会にとって農工商の三民の存在価値は明らかであっても、武士について、それは自明ではない。武士は三民の上に立つというが、実は遊民ではないのか――こういう声を、素行は心の奥に聞いていた。(p45)