第二次大戦(ヨーロッパ戦線)はファシズムと共産主義の戦いだった

『図解 たった5分の現代史』歴史ジャーナリズムの会 編

 激動の20世紀を語るうえで、どうしても欠かせない事件といえば第二次世界大戦だろう。地球上のほとんどの国が巻き込まれた史上最大の戦争である。
 発端は1939年9月1日のヒトラー率いるナチスドイツのポーランド侵攻だ。
 侵攻の2日後、ポーランドへの支援を約束していたイギリス・フランスがドイツに対して宣戦し、第二次世界大戦が勃発する。
 ドイツはその前年、オーストリアを併合し、続く翌年にはチェコスロヴァキアを解体して、さらにダンチヒの返還とポーランド回廊の割譲をポーランドに強要していた。だが、ポーランドがこれを拒否したため、当時、ソ連と不可侵条約を結んで勢いを得ていたドイツが攻め込んだのである。
 やがてドイツに続きソ連ポーランドへ侵攻し、同国はドイツとソ連に分割されてしまう。
 さらにソ連フィンランドに宣戦して国境地帯の軍事基地を奪い、バルト3国に進駐して占領、ルーマニアベッサラビアの割譲を要求するなど進撃を続ける。
 ドイツはデンマークノルウェー・オランダ・ベルギー・フランスに侵攻し、1940年6月にはとうとうパリまで占領してしまう。
 フランスではペタン内閣が成立してドイツに降伏し、フランス中部のヴィシーに政府を設置してフランスの南側を統治、北側をドイツが占領することになる。
 だがその一方で、フランスの陸軍次官だったド・ゴールが対ドイツ抗戦を訴えロンドンで「自由フランス政府」を樹立し、実質上のフランス政府としてフランス国内でのレジスタンス運動を指導した。
 また時を前後してイギリスではチャーチルが首相となり、ドイツの上陸を阻止して抗戦する。

 枢軸国の侵略一方の戦況に変化が訪れたのは、1941年に入ってからだ。ドイツ側についたイタリアを支援するためドイツがバルカン半島に侵入すると、これを不満としたソ連と関係が悪化し、独ソ戦争が始まったのである。
 ドイツ側にはフィンランドハンガリールーマニア・イタリアが追従してモスクワに迫るが、ソ連は激しく抵抗して、戦闘は予想以上に長引いていく。
 やがて冬が近づくと夏装備のドイツ軍は敗走を余儀なくされ、さらに同年12月には日本から奇襲されて戦争に突入したアメリカがドイツとイタリアに対しても宣戦し、ついに連合国側の総反撃が開始される。
 ドイツはスターリングラードの戦いでソ連に大敗し、独ソ戦争はソ連の優勢が決定的となる。
 その一方で連合国軍はイタリアに迫り、1943年9月にイタリア本土に上陸すると、すでにムッソリーニを解任したイタリアが無条件降伏するに至った。
 連合国軍は1944年6月、フランスのノルマンディーに上陸して8月にはパリを解放し、1945年にはドイツ軍の敗戦が決定的となる。そしてその年の5月にベルリンが陥落、ヒトラーは自殺しドイツは無条件降伏する。
 ファシズム枢軸国に対して連合国は結果的に圧勝し、やがて8月には、アジアで繰り広げられていた太平洋戦争も日本の敗戦で終結を迎える。
 これと同時に約6年にわたって全世界を巻き込み、多大な犠牲者と被害を出した第二次世界大戦は幕を閉じたのである。(p28)


独ソ戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E3%82%BD%E6%88%A6

エマニュエル・トッドはその著書『帝国以後』の中で「第二次世界大戦の戦略的真相は、ヨーロッパ戦線での真の勝利者はロシアであったということである。スターリングラードの以前、最中、以後のロシアの人的犠牲が、ナチスの軍事機構を粉砕することを可能にしたのだ。1944年6月のノルマンディ上陸作戦は、時期的にはかなり遅い時点で実行されたもので、その頃にはロシア軍部隊はすでにドイツを目指して戦前の西部国境に到達していた。当時多くの人士が、ドイツ・ナチズムを打ち破り、ヨーロッパの解放に最も貢献したのはロシア共産主義だと考えたということを忘れたら、戦後のイデオロギー的混乱を理解することはできない。イギリスの歴史家で軍事問題の専門家であるリデル・ハートが見事に見抜いたように、あらゆる段階でアメリカ軍部隊の行動様式は官僚的で緩慢で、投入された経済的・人的資源の圧倒的な優位を考えれば、効率性に劣るものだった。ある程度の犠牲的精神が要求される作戦は、それが可能である時には必ず同盟国の徴募兵部隊に任された」と述べている。