ウッドロー・ウィルソン

『嘘だらけの日米近代史』倉山満

 ところで、「アメリカが嫌い!」という日本人に限って、「ウィルソンが嫌い!」、ましてや「許せない!」という人を聞いたことがありません。…そもそもウィルソンが誰だか知らないのでしょうか。どうやら歴史教育に問題があるようです。例によって通説をみましょう。ほとんど聖人君子のような描かれ方です。

[通説]
ウィルソンという道徳的に素晴らしい大統領が第一次世界大戦を終わらせ、アメリカを世界の指導国へと導いた。彼の主張した、「勝利なき平和」「十四カ条宣言」「民族自決」は世界中に感銘と勇気を与えた。しかし、人類永遠平和の砦として自ら提案した国際連盟には議会の反対により加盟できなかったのが残念でならない。

 何の冗談でしょうか。ここまで正義と悪が倒錯した物語を私は知りません。しかし、日本の学校教育ではこのようなストーリーがまき散らされているのは確かですし、普通の人はそんなことを覚えていなくても、知識人にはこのようなイメージが固定観念としてこびりついているので困りものです。(p60)


 ウィルソンの任期は、一九一三年から二期八年ですが、最初の七年間は人格異常者として、最後の一年間は精神障害者として大統領の仕事をしました。こう言っているのは、有名な精神分析学者のフロイトです。フロイトによれば、自分をキリストだと勘違いしていたのがウィルソンで、戦争に中立を保つか介入するかなど、すべての重要政策は「自分がキリストとして活躍できるか否か」だけで判断したというのです。日英仏のような関係国にとっては、訳のわからない綺麗事を言いながら国際秩序をかく乱するだけのトラブルメーカーです。それでいて、アメリカ大陸の弱小国に対しては帝国主義的な姿勢をむき出しにするから始末に負えません。
 まず、ウィルソン初期の対外政策は、中米諸国への軍事介入を繰り返しています。…そして、ヨーロッパ諸国に対しては「モンロー主義」「アメリカ大陸のことはアメリカが決める」と一方的に宣言します。バルカン半島の緊張でそれどころではない欧州諸国は聞き流します。…
 ただし、この時のアメリカは世界第三位の経済大国です。国際法の中立規定など無視して第一次世界大戦参戦各国に大量の武器や物資を売りつけ、さらに英仏など連合国に多額の戦費を貸し付け、「国家丸ごと死の商人」のように振る舞います。それでいながら、連合国とドイツ率いる同盟国の双方に「勝利なき平和」、つまり「喧嘩をやめようよ」と訴えていたのですから、大したツラの皮の厚さです。
 さらに戦争に疲れ果てたドイツが和議を申し出たときは「帝政をやめて共和国になれ」と、「勝利なき平和」どころか憲法改変まで要求しています。この場合の憲法改変とは「別の国に生まれ変わってこい」という意味です。これでは無条件降伏要求と同じです。ドイツは絶望的な(つまりヤケクソな)抵抗を続けます。
 そしてアメリカは一九一七年に大戦に参戦します。ドイツが「無制限潜水艦作戦」と称して、中立国であるアメリカの商船を撃沈したことへの抗議だと説明されます。しかし、戦争当事国に武器や物資を売ることこそ戦争加担行為で国際法違反です。中立国のアメリカを敵に回したくないので容認してきたドイツがとうとう堪えきれなくなって直接行動に出たというのが真相です。(p61)


アメリカ史』紀平英作 編

 第一次世界大戦参戦中、ウィルソン政権は戦争反対の意見表明にたいして厳しい制限を課した。対象になったのはIWWのような急進的労働組合社会主義者(アメリカ社会党は多くのヨーロッパの社会主義政党と異なり戦争反対を貫いた)、あるいは分裂した忠誠心をいだいていると疑われたドイツ系移民たちであった。政府は急進的外国人を国外退去に処し、連邦軍を派遣してIWWのストを粉砕し、さらに防諜法(一九一七年)と治安法(一八年)を制定した。市民的自由の抑圧は、たんに連邦政府によってのみならず、州や地方政府の条例、あるいは民間団体によってもおこなわれた。ドイツ語教育が禁止された地方があり、またドイツ語の本が焼かれた町もあった。
 終戦アメリカは深刻な労働争議に襲われた。一九一九年には三六〇〇のストに四〇〇万人の労働者が参加した。労働者は戦時中獲得した待遇を守ろうとしたのである。しかし彼らは概して世論の支持をえられず、労働側は敗退した。ロシア革命の成功とヨーロッパでの労働運動の広がりによって、多くの国民は「革命の危機」についてあらたな恐怖心をもつようになっていった。このようななか、司法長官ミッチェル・パーマーは一九年十一月から翌年一月にかけて、四〇〇〇人以上の急進主義者にたいする大規模な逮捕をおこなった。これが「レッド・スケア」と呼ばれた事件である。多くの場合、法の適正手続きを無視した逮捕であり、また具体的犯罪ではなく革命的思想ゆえの逮捕であった。(p279)


『「昭和の大戦」への道』渡部昇一

 この世界大戦が日米を含む連合軍側の勝利に終わった翌年の一九一九年(大正八)、国際連盟の結成が決まったのだが、その規約作成の場で日本の牧野伸顕全権代表が画期的な提案を行った。「連盟に参加している国家は、人間の皮膚の色によって差別を行わない」という内容の条文を規約に盛りこもうというものであった。日本としては長いこと日系移民がアメリカで不当差別される問題に悩まされていたので、それを国際的レベルで改善したいと考えていたのである。
 つまり、国家による人種差別は廃止すべきだと訴えたものであり、これは、何十年も時代を先取りした優れた提案で、有識者の多くが日本に賛意を示した。しかも、日本の提案は、各国の事情を斟酌して、人種差別の即時撤廃などを要求したものではない。
 しかし、この提案は葬り去られることになる。国際連盟に参加しているような国はみな植民地を持っているから、人種差別の撤廃などといったアイデアは危険思想なのだ。実際、アメリカやオーストラリアなどは、「白人を中心とする世界秩序を混乱させるための日本の陰謀ではないか」という見方さえ持った。
 パリ会議での委員会は多数決であったのに、この日本側の提案の時は、賛成多数であったにもかかわらず、議長のアメリカ大統領ウィルソンが、「かように重大な問題は全会一致にすべきだ」という主旨の発言をして否決した。国家間の人種的平等の主張は、民族自決主義など高邁に聞こえる主張をしていたアメリカの信心深い人道主義者とされた大統領(彼はプロテスタント)によって葬られたのである。ちなみに彼は一九一九年(大正八)にノーベル平和賞を受賞している。
 理性に訴えかけるという日本のアプローチは、失敗したばかりか、かえって先進諸国の疑念を増す結果となった。それどころか、世界で最初にできた国際的な国家連合機関は、「人種差別は今後も続ける」という判決を下したも同然だったのである。(p24)