近代主義が生んだ魔女狩り

『魔女と聖女』池上俊一

 エリートの告発
 魔女にしたてあげられた女たちは、社会的には貧窮したアウトサイダーであった。都市民はすくなく、大半が農村の貧しい女性であった。
 彼女らは、どん底の人々とつきあった。人々は、秘密の力、予言の力をもつ彼女を頼った。畏怖の念をいだきつつ、彼女に家畜の病を癒してもらい、呪いをかけてもらい、愛を助けてもらった。彼女は薬草の知識があり、産婆術に通暁し、毒物の調合方法を知っており、恋愛を助ける、または損なう薬の調合を知っていた。
 つまり、魔女と呼ばれた人々は、不思議な超自然力の持ち主であることはおなじでも、「魔女」の悪事とちょうど反対の善行を、住民たちの要求に応えておこなっていたのである。それなのに、なぜ、彼女たちは「魔女」として告発されることになったのであろうか。
 それは、都市のエリートである司法官や教会改革者の目に、彼女らが道徳意識も政治的意識もない厄介者にうつったからであった。彼女の存在が、住民をあいかわらず異教の迷蒙に染まらせ、また、あるべき秩序をおびやかすと思われたのである。
 だから彼女たちを根こそぎ共同体から排除するために、権力を握るエリートは、機会あるごとに住民を駆りたててこれらの「不穏分子」を駆りだそうとした。
 布教活動により罪悪感を植えつけられ、また経済的変容をうまく乗りきった中・上層農民を使って、社会秩序を守るのは容易であった。危機にある共同体にわだかまる憎悪や復讐の抑圧された本能を、裁判が社会的抑圧の道具としてもちい、もてる民衆ともたざる民衆を対立させればよかったからである。
 裁判官・法律家は善と悪の宇宙大の戦いの実在を信じ、おそらくはほんとうに信じ、その考えを書物と説教で一般に普及させていった。魔女に寛大な裁判官がいれば、「神の民」の敵とされることになった。
 魔女狩りが大展開したのは、十六世紀以降であった。つまり、中世を暗黒の時代だと呪ったルネサンス宗教改革の時代にこそ、なんの罪咎もない女性を魔女として、火刑台に送りこんでいたのである。(p17)


 カトリックと新教の角逐
 とりわけ魔女狩りで悪名高かったのは、まずアルプスの麓、ジュラ山脈、ヴォージュ山地、ピレネー山脈やその周辺など、高地の裁判所だった。ついでイタリアのピエモンテ地方、フランスのギエンヌ地方、アルトア地方、ロレーヌ地方やフランシュ=コンテ地方、さらにドイツのライン地方、南ドイツ、そしてベルギー全域の裁判所であった。
 これらは、古い異教的伝統ののこる山岳地帯や森林地帯であったり、いくつかの文化の合流する辺境であったり、カトリックプロテスタントの角逐の場であったりという特徴がある。特に十六世紀後半以降、ヨーロッパ中で魔女狩りが展開するのは、カトリックプロテスタントの双方に責任があった。
 まず、プロテスタントの布教家によって、これまで魔女狩りの存在しなかったあらたな地方に迫害がもたらされた。それは、ドイツ各地やスコットランド、フランドル、ネーデルラントであった。
 その後、カトリックプロテスタントの地域を再征服するとともに、また大規模な魔女狩りがおこなわれた。一五九〇年代のドイツ、フランドル、ラインラントで迫害の嵐が吹きあれ、さらに一六二七年から九年にも大迫害があった。
 つまり、プロテスタントカトリック相互の攻防、布教活動とむすびついて、魔女狩りの火の手は一段とはげしく燃えたことが知れる。敵地に進出してゆく過程で、それをさまたげる可能性のある者を、悪魔の手下として弾圧してゆくのである。
 とくに、はげしさで際だっていたのは、十七世紀最初の四半世紀であり、ついで一六四〇年代、一六六〇年代と間欠的に魔女狩りの火の手があがった。一六五〇年代に懐疑的な風潮があらわれ、十七世紀末には、ヨーロッパ全域からほぼ魔女狩りの炎は消えさった。(p20)


 もうすこし詳しくサバトについて説明してみよう。魔女たちがサバトに赴くのは、日が暮れてからであった。ときに箒にのって空を飛んで、ときに動物にまたがったり自ら動物に変身してである。この「夜間飛行」と変身は、民俗的要素の影響であろう。
 そしてその民俗的要素のもとには、非常に古くから農村社会に存在するシャーマニスティックな豊饒儀礼があるようである。動物にのって、または動物に変身して死者の国に旅立つ魔女(の前身)たちには、小麦の生命力を回復するために、また畑の豊饒を確保するために、その死者や精霊の神秘的な行列に参加するという目標がある。また逆に、それによって、彼女たちは予言や幻視の能力を手にいれることができたのだろう。
 そのような民俗的イメージ、およびそれを現実化した儀礼などの存在に、エリートたち、つまり判事・異端審問官・悪魔学者らの洗練された妄想が合体して、サバトができたのではないかといわれている。
 そのエリートの妄想というのは、キリスト教社会に敵対する悪魔の霊感を受けたセクトがおり、彼女たちはそのセクトキリスト教を捨てて十字架と秘蹟を冒瀆してから入り、定期的に集会をもよおすというものである。(p24)


 どうしてヨーロッパ最高の知性というべき人々が、かくも恐ろしく退行的な思想におちいり、不合理の淵にしずんだのか。おそらく、そこに魔女現象を解くひとつの鍵があるであろう。
 そのひとつの理由としては、ヨーロッパ思想において、開明的な思潮、合理主義や人文主義には、つねに逆立した無意識が、影が形によりそうようにつきそっているということがある。
 この開明的なはずの悪魔学者や裁判官たちがとらわれていた「女性恐怖」こそ、その無意識のあり方を明らかにする鍵であろう。その起源から、それが巨大なうねりとなってかれらを押しつぶし錯乱させるようになるまでの道筋を、本書で明らかにできればと思う。(p51)


 転回する教会
 魔女狩りがフランスでもドイツでもイングランドでもスペインでも、ヨーロッパ中で熱狂的におこなわれて、数多くの女性が火刑台の露と消えたのは、十六・十七世紀を中心とする時代である。なぜ「ルネサンス」と「宗教改革」そして「科学革命」という、近代の黎明を告げる大事件の起きた、まさにその時代に、信じがたい兇行が大手を振っておこなわれたのか。
 教皇や托鉢修道士そしてプロテスタントの改革者、対抗宗教改革カトリックの聖者、神学者、法律家、教会人、医師、これら時代を代表するエリートが、よってたかって、魔女を仕立てあげた。いかにしてか。
 比較的説得的な説明は、これが社会的不寛容のひとつのあらわれだ、というものである。十六・十七世紀は、強大な社会変動の時代であるとともに、また深甚な知的変容を閲した時代であり、いくつものイデオロギーが相争っていたが、その抗争の犠牲となったのが、魔女だというのである。
 農村には古来の迷蒙、迷信がずっと残存していた。これはたしかである。かれらは、呪いをかけ、霊と話し、共感呪術を駆使し、豊作多産をねがい、病気を快癒させたいと祈り、それを専門にしている老女にたよった。
 これらてんでんばらばらに、なんら体系をなさずにあちこちに存在してきた異教的迷信。それは、初期中世以来、教会や国王によって断罪され続けてきた。カール大帝の勅令や「司教法典」以来、ずっとそうであった。しかし、このような権力側の態度は、魔女をつくりだしはしなかった。むしろ魔女と妖術の現実性を否認するものであった。
 しかし教会は、中世末に態度を百八十度転回させる。つまり、これまでありえないものとして否定してきたその迷信の内実を、真実のものとした。さらに、それは、悪魔の手下である魔女が、人類を破滅させるためにおこなっている禍々しい業だとしたのである。
 さらに、すでに前節でみたように、それを悪魔学が「体系化」したことが、大規模な魔女狩りを正当化したのである。
 こうして、これまで「田舎の呪術」であったものが、悪魔学の強迫観念の網の目にとりこまれることになった。教会が態度を方向転換したのは、悪の力を自ら生みだし、その存在の保証人兼粛清者となることによって、権力基盤を固めようとしたからである。(p51)


 変動する社会のスケープゴート
 しかし、あのような夥しい魔女が生みだされるには、このような迷信についての当局側の考えの転回にとどまらず、それ相応な社会的理由があったはずである。
 この時代は宗教戦争の時代であった。それは、中世的な世界観をおおきく動揺させ、社会不安をかきたてた。上流・中流のエリートたちは、宗教対立によって、中世的な安定した霊的秩序や、神と人間との関係を壊され、不安におちいった。その不安は、悪魔とその王国の力を誇大に妄想させたのである。
 また、この時代は人口激増、物価高騰、資本主義の抬頭、家族の変貌、疫病や飢饉など、社会的な大変動の時代でもあった。このような農村社会の変動と階層分離は、共同体に統合されない社会集団を生みだしていた。
 また同時に、近代化をすすめる都市と農村の乖離も著しくなった。都市のエリート(司法官)は、農村に徐々に裁判制度・理論をもちこみ、粗野な習俗の洗練と善悪の峻別を強要した。
 こうしたなかで、カトリックにせよプロテスタントにせよ、敵対する宗教の地に布教家を送って、自分の版図をひろげたり失地を回復したりするときに、それまで現地を誤謬に染めてきたその張本人を、それらのアウトサイダーたちのなかに見出したのである。
 魔女迫害をはじめたのはカトリックの教会人だが、それをプロテスタントがうけついで、いっそう増幅させた。ルターさえ魔女とその妖術を確信して、魔女は火で焼かれるべしとした。カルヴァンも同断であった。
 中世のドミニコ会士同様、プロテスタントの福音家も各地に体系的な異端審問の神話学をもちこんだ。そして、農村に巣くっていたてんでんばらばらな迷信を、悪の原理の統括する体系的なものにみせたのである。
 農村は農村で、人口増加、経済変容、内部の階層分化によって共同体が解体し、人びとは鋭い危機意識にとらえられていた。中世の農村にあったような助けあいの精神は過去のものとなり、貧者は富者を憎み、富者は貧者を呪った。それゆえ、何らかの災厄が発生した場合、その危機の責任を負わせるスケープゴートを見つけだすことが急務になっていたのである。
 このようにして魔女のレッテルを貼られたのは、かつて共同体意識が健全にひろまっていたときに人びとの慈善の対象ともなっていた、貧しい女性たちであった。彼女らがだれよりも古来の迷信をあたためていたことは、司法官と布教家が農民に植えつけた罪責感の、格好の転嫁対象となった。
 都市のエリートのもたらした強迫的な魔女の表象は、かれら農民にいっそうの不安と苦悩をもたらしたが、それは同時にかれらを襲う社会的な危機の、宗教的な説明とその解決法をもあたえたのである。
 つまり社会的な危機をもたらしたのは、神のつくったこの世の秩序をくつがえそうと狙っている悪魔の仕業であり、その悪魔の手下がひそかに農村にはいりこんで、災厄をまきつづけているとされたのである。危機解決は、呪術やリンチ・私闘にかわって、裁判があたえてくれよう。
 十六・十七世紀に新たなタイプの農村エリートが生まれたことも重要である。かれらは富裕で読み書きができ、ある程度のキリスト教についての知識をもっていて、文盲の貧しい農民を軽蔑し、農村共同体の指導的立場にいた。かれらは、狂信的な説教師がやってきて魔女とその妖術の恐ろしさについて説くと、だれよりも敏感に反応するのであった。(p53)