戦争と高潔な感情

ドストエフスキー』ヴィリジル・タナズ

 一八七〇年七月末、ドイツがフランスと戦争を始め、輸送手段が徴用され、郵便物も新聞・雑誌も届かなくなった。世情が不安定となり、「誰も信用取引しなくなり」、捕らぬ狸の皮算用で金を使うことに慣れた者には厄介だった。ドストエフスキーは戦況を毎日追い続け、経過をノートにつけていたが、こうした災難を除けば、この戦争は必要で有益なものに思われた。戦争のせいで苦労が増えたと嘆く姪のソーニャに、ドストエフスキーは書き送っている。

 戦争がなければ、人間は安楽と富にどっぷり浸かり、どんな思想、どんな高潔な感情にも無縁になり、知らず知らず考えが硬直化し、野蛮に陥るのです。これは国民全体のことを言っているのです。苦悩がなければ、幸福を理解することもできません。黄金が火の熱をくぐるように、理想は苦悩という試練をくぐるのです。

 ロシアはヨーロッパの列強を巻き込む紛争に乗じ、クリミア戦争敗北後に締結した条約に違反するにもかかわらず、再び黒海に艦隊の一部を配置しようとした。ドレスデン在住のロシア人たちに頼まれたドストエフスキーは、彼らと連名で、この英断を下した皇帝を称える手紙を外務大臣宛に書いた。この行ないが目に留まり、一二月三十一日、元徒刑囚であり帝政ロシアの警察に目をつけられている作家であるはずのドストエフスキーは、ドレスデンのロシア領事から、新年祝いの舞踏会に招待された。(p214)


 誰もが予測した通り、開戦によって新聞・雑誌の売れ行きは急増した。『作家の日記』の発行部数も、最も楽観的な予想を上回る八〇〇〇部となった。これを受けて、アンナ・グリゴーリエヴナはついに、雑誌の事務と管理の面で自分を補佐する者をごく少人数ながら雇い入れた。『作家の日記』は読者に対して「戦争は、私たちが吸っている息苦しい空気を入れ替えてくれる」と力説した。
 しかし、ドナウ川を越えたロシア軍はプレヴナ要塞を攻めあぐね、多大な損害を被ったため、作戦を指揮していた皇太子はルーマニア王に緊急電報を送り、援護を求めざるを得なくなった。ロシアとルーマニアの連合軍は一八七七年十二月まで熾烈な戦いを繰り広げ、膨大な犠牲を払って戦略的に重要なこの要塞を落とし、オスマン・トルコに対する勝利の突破口を開いた。ロシア軍はコーカサス戦線においても同じくらいに甚大な損害を被った。数ヵ月の間に二万人もの戦死者を出したが、前進できた距離はほんのわずかであった。
 最終的に、露土戦争は、軍事的勝利のおかげというより、会議での交渉によって終結を迎えた。(p285)