現代的欺瞞の一つ

『交響する群像―『カラマーゾフ兄弟』を読む〈1〉』清水孝純

 ドストエフスキーは、『作家の日記』の一八七三年の「16 現代的欺瞞の一つ」の項でこう語る。
 「批評家の中のある人々は、わたしが最近の小説『悪霊』において、有名なネチャーエフ事件の骨子を利用しているといった。しかし、その場合、彼らはこう明言した。すなわち、わたしの書いたものはネチャーエフ事件そのままの肖像や文字通りの再現ではなく、そこでは単に現象を取り扱っただけであり、こういうことがわが国の社会に起こり得る理由を説明しようとしたにすぎない。しかもそれは社会的現象としての意味合いであって、逸話的な形式でもなければ、モスクワで起こった一個の事件の描写という形式でもない、と。わたしは自分の立場からいうが、それはぜんぜんほんとうである。有名なネチャーエフや彼の犠牲者なるイヴァノフなどには、わたしは自分の小説で個人的にふれていない。わたしの描いたネチャーエフの人物は、むろん、本物のネチャーエフの人物には似ていない。わたしは問題を提出して、できるだけ明瞭に小説の形でその問題に答えんと欲したのである。すなわち、わが国の過渡的な驚くべき現代社会においては、いかにしてネチャーエフ、というよりも、むしろネチャーエフ式の人々が存在し得るか、またこれらのネチャーエフ式の人々がいかにして結局ネチャーエフ党を傘下に集め得るか? という問に回答を与えようとしたのである。」(p36)