ユダヤ人と経済生活

ユダヤ人と経済生活』ヴェルナー・ゾンバルト 講談社学術文庫

 とくに植民地拡大という手段によって、近代資本主義が繁栄するようになったことが、今やはっきり認識されはじめた。しかも植民地の拡大にあたっては、ユダヤ人が決定的とはいわないまでも、卓越した役割を演じたことを、これから読者の納得のゆくように論述するつもりだ。
 ユダヤ人がすべての植民地創設にあたって強力に関与したことは、当然である(それというのも、新世界は、たしかに旧世界とあまり違わない世界であっても、およそ不機嫌な古いヨーロッパよりも、はるかに多くの生活の幸福を、彼らに約束してくれたからであり、とくに、ヨーロッパでは、最後の宝の山とされた場所も、実は荒れ果てた土地にすぎないことが判明したからだ。このことは、地球上の東方、西方、そして南方の地方についてもあてはまる)。(p73)


 東インド諸島にも早くも中世以来、明らかに多くのユダヤ人が居住していた。そして一四九八年以後、ヨーロッパの諸国民が、依然として古い文化国家維持のためにせめぎあっていた間に、ユダヤ人は東インド諸島で、ヨーロッパ人支配の歓迎すべき代表者として、とくに貿易の先駆者として奉仕することができた。ポルトガル人とオランダ人の船に乗り――正確な数の測定はまだ行なわれていないが――大勢のユダヤ人集団が東インド諸島の各地に渡っていったと思われる。ともかく、ユダヤ人が東洋のすべてのオランダの植民地獲得に、強力に加わっていたことはわかっている。さらにオランダ・東インド会社の株式資本のかなりの部分がユダヤ人の手中におさめられていたことも判明している。さらにわれわれは「たとえジャワにおけるオランダ権力の創設者とはいえないまでも、かならずやその権力の確立にもっとも貢献したはず」のオランダ・東インド会社の総督が、ユダヤ人名であるクーンという名であったことを知っている。さらにもしわれわれがこの役職についた人々の経歴を十分に吟味するならば、クーンがオランダ領東インドにおける唯一のユダヤ人総督ではないことを容易に確信できるであろう。ユダヤ人は東インド会社の支配人であったばかりか、いたるところの植民地の業務にたずさわっていたことがわかる。(p73)


 だがその後、イギリス人が支配者となったとき、インドの植民地経済にユダヤ人がどの程度加わっていたかはさだかでない。これに対し、南アフリカおよびオーストラリアにおけるイギリス植民地の創設へのユダヤ人の関与は、比較的はっきりとわかっているし、またこうした土地(とくにケープ植民地)では、ほとんどすべての経済的発展がユダヤ人に帰せられることも判明している。(p74)


 そうはいっても、植民地におけるユダヤ人の活動の主な舞台は、とくに初期資本主義の諸世紀にはことごとくヨーロッパ人によって形成された西半球の土地であった。アメリカではどの部分をとってもユダヤ人の土地がある。これが資料研究を行なった結果、否応なく到達する結論である。(p75)


 全く奇妙な方式で、ユダヤ人は発見と同時に、もっとも密接にアメリカのなかに組み込まれていった。まるで新世界は彼らだけのために、彼らの援助によってのみ、発見されたかのようであった。またコロンブスらの発見者は、あたかもユダヤ人の業務執行社員〔マネージャー〕のようであった。…
 さらにコロンブス遠征の物質的基礎はユダヤ人が提供した。ユダヤ人の金が、コロンブスの二つの最初の旅を可能にした。(p75)


 さらに新世界の門戸がヨーロッパ人に開かれるや否や、ユダヤ人は大挙して移住した。そればかりではない。アメリカの発見が、実はユダヤ人がスペインの故郷から追放されたのとちょうど同じ年であることがわかっている。(p78)


 ちょっと見たところでは、北アメリカの経済生活は、本質的にはユダヤ人の影響など全くないまま形づくられていったように思える。そして、これまで、いやというほどアメリカ合衆国の発展の実例が、わたしの見解と逆のことが実は正しいとの証明としてもちだされた。わたしの見解とは、すなわち、近代資本主義は根本においては、ユダヤ的性格の流出に他ならないということだ。アメリカ人自身が、彼らはユダヤ人の助力なしにやってきたと、わたしの見解には不満を示してきた。もしまちがっていなければ、アメリカの作家マーク・トウェインは、かつて長々と、なぜユダヤ人はアメリカ人たちの間で、なんらの役割も演じなかったかを力説した。それはアメリカ人がユダヤ人より機敏ということではないにしても、ユダヤ人と同じくらいは機敏であり(なお同じことをスコットランド人も、自分たちについて主張している)、そして実際に、アメリカ合衆国のすべての大物実業家、投機屋や「トラスト支配人」のなかで、今日では、多くユダヤ人の名前にお目にかかることはないからだというのだ。
 そのことはすべて認めてよいだろう。それでもなおかつわたしは、アメリカ合衆国は、おそらく他のどの国よりも強烈に、徹頭徹尾、ユダヤ的性格によって満たされているとの自説を曲げるつもりはない。(p84)