ホッブズの思想 恐怖との双生児

『世界の名著23 ホッブズ

 恐怖・不信・平和への道――政治科学の先駆者  永井道雄

 恐怖との双生児
 トマス・ホッブズとは、どのような哲学者であったのか。そのことを、手短に、しかも、おそらく正確に物語っていると思われるのは、ホッブズの生誕と死について、彼自身が述べていることばである。――一五八八年四月五日、彼の祖国イギリスが、スペインの無敵艦隊襲来の噂につつまれていたとき、牧師の妻であったトマスの母は、この恐ろしい噂に強い衝撃をうけ、まだ、その日がきていないのに彼を産みおとした。韻文の自叙伝のなかでホッブズはいう。「母は大きな恐怖をはらんで私と恐怖との双生児を産んだ」
 生涯の前半は必ずしも健康ではなかったが、五十歳前後から憂鬱さが消え、顔色もよくなり、当時の人としては長命な九十一年の生涯をおくり、一六七九年の十二月四日に死んだ。最後の病が不治であることを知ったとき、彼は、つぎのように述べたという。「この世の中からはいでる穴がみつかるのは私にとって幸いである」(p07)


 十六世紀の末から、十七世紀の末まで、ホッブズが九十一年の生涯をおくった時期は、イギリスの激動の時代にあたる。とくに、ホッブズが思想家としてもっとも生産的であった五十歳から七十歳におよぶ時期は、清教徒(ピューリタン)革命を頂点とする内乱の時代であった。ホッブズは、生涯に四度、ヨーロッパ大陸にわたったが、最後の渡欧を試みたとき、身辺の危険を予知する点で、自分は他の人々よりもすぐれていると考え、みずから「第一号の亡命者」と名乗っている。彼は、恐怖とともに生まれ、内乱の危険を恐れ、この世からはいでる小さな穴をみつけたことを喜んで死んだ。(p07)


 人間と社会は、彼にとって、警戒を要する危険な存在であった。当然のことながら、彼が強く望んだものは平和であった。しかし、平和は容易に得られるものではなく、宗教すらも、これを保障しないことは、ホッブズが、目撃し、体験した宗教戦争が、何よりも雄弁に物語っている。地上に平和をもたらすものは何か。それは、国家とよばれる存在ではないか。それを科学的に設計し、また証明することはできないか。
 ホッブズの不朽の名著であり、主著でもある『リヴァイアサン』は、まさにこれを主題としている。リヴァイアサンは、「ヨブ記」四十一章の最後の二節にある、誇り高い地上の王である。「地の上にはこれと並ぶものなく、これは恐れのない者に造られた。これはすべての高き者をさげすみ、すべての誇り高ぶる者の王である」(本書三二七ページ参照)と。
 リヴァイアサンこそが国家であり、これなくしては、平和もなく、人間の生存もありえない。(p07)


 しかし、国家を契約としてとらえたのは、ホッブズだけではない。ルソーもそうであった。ただ、ルソーの場合には、人間は生まれながらにして鉄鎖につながれているという表現があるように、解放こそが重要であると考えているのにたいして、ホッブズは、自然状態にある人間を、利己的で虚栄心にみち、しかも競争好きな存在としてとらえている。(p10)


 実は、ホッブズが考えたように完全な自然状態に生きる人間はありえない。生まれたときから、人間は社会的存在であり、幼児から意図的、また無意図的な学習をへて成人する。
 ホッブズには、その点で方法論上の問題があり、彼自身が誇っていた意味で自然科学的だったのではなかった。自然状態に生きる人間を分析的に明らかにするといいながら、実は、彼が観察し経験した人間を記述し、分析したのであった。
 ホッブズが"自然状態"の名においてえがいた人間は悲惨な存在であった。人間悪を根本においている点で、宗教的だといってよいが、それを宗教ではなく、科学の名において行なった点で、ホッブズは近代の思想家であった。
 西洋の中世は、キリスト教の権威による地上の秩序を求めた。ホッブズの人間認識は悲観的であったが、同時に彼は人間の生存権を至上の価値とした。その結果、近代的な意味における"政治"が宗教に代わって登場した。
 ホッブズがえがいた人間は自然的ではなく社会的であり、したがって、時代をこえる妥当性をもたない。そればかりか、十七世紀のイギリスの人間認識としても、それは、人間の一面の誇張であった。ホッブズ研究家として知られるW・G・Pスミスも述べているように、ホッブズには極端な誇張があり、それがまた一つの思想的な力であった。(p10)


 以上のように人間の認識活動をとらえたホッブズが、人間論の拠点を快苦の感覚を生みだす生命活動に求めたのは、きわめて自然なことであった。人間の一般的性向として基本的なものは「死にいたるまでやむことがない力への欲望」である。「人間があたかも菌のように、突然、土壌から頭をもたげ、たがいに何の拘束もなく成長した状態」を想定してみよ。それを自然状態と名づけるならば、その状態にある人間は、アリストテレスが考えたような「社会的動物」ではない。むしろ「万人が万人にたいする戦争の状態」に生きる反社会的動物である。理性によって社会的になるよりは、理性を使って、他人と自己を比較し、名誉、位階、力を求め、羨望と憎悪をもって、いよいよ争いを深める。自然状態にあるかぎり、人間は死ぬほかはない。
 しかし、生きることは人間の権利である。そこからホッブズの社会論が展開する。――人間は生きるために社会をつくらざるをえない。自然状態にある人間を死から救うものは「死の恐怖」である。「死の恐怖」を転換の契機として、人間は自然理性によって生きる。自然権の放棄を決意し、契約によって、個人あるいは合議体に権利をゆずりわたす。そのとき、はじめて権力が設定され、人間は、団体の一員となる。権力は地に並ぶものがない地上の神であり、それのみが生存権を保障する。(p11)


 しかし、立場は王党派であっても、この時期の彼が、思想の近代化への道を一歩一歩、進みつつあったことも疑いない事実であった。ホッブズはベーコンの助手として働き、ベーコンが書いた論文を少なくとも三つラテン語に翻訳した。ベーコンが信頼するお気に入りの助手であった。
 ベーコンの帰納法と、後年のホッブズの演繹的思考法を対比し、またのちにホッブズ自身がベーコンに負うところはないと語った事実にもとづいて、二人の出会いに思想史上の意味はなかったというものがある。しかしピータースが指摘していることであるが、思考法の相違、またホッブズ自身のことばにもかかわらず、むしろ重要なのは二人の共通点である。
 ベーコンの有名な『ノウム・オルガヌム』(Novum Organum)が発表されたのは一六二〇年であり、ホッブズとの接触は、その直後であった。ベーコンは過去の知識を鋭く批判した。出身の家族や大学よりも、能力と知力こそが、知的世界にかぎらず政界においても、地位を得る根拠であるべきだと主張した。「知恵こそ力である」が、この本が人々に伝えた基本的な思想であり、中世哲学にたいする近世思想の宣言でもあった。十七世紀の初頭は、まさに、そのような時代であり、ホッブズは、この面で明らかにベーコンの影響下にあった。(p17)


 しかし、ベーコン、ホッブズにかぎらず、デカルトもふくめて、十七世紀初頭の思想家にとって、自然は、人間から切り離して、明晰に、また正確に認識されるばかりではなく、使用されるものでさえあった。デカルトは動物を機械とみなした。ホッブズにいたっては、後年、人間と社会のいずれをも機械として理解し、しかもこれを操作する理論に到達した。(p18)


 一六二九年であるが、この時、ある人の書斎でユークリッド幾何学の本をみたことが、彼の思想の大きな転機となった。幾何学においては公理があり、証明によって定理に達する。疑いない前提から、演繹によって重要な結論に達することができる。
 この方法によって、社会構造を構想し、平和を確保する重要性を証明することはできないか。それこそが、まさにホッブズにとって天啓であった。ピタゴラスの理論と同じように、人間性の定理から発し、社会の理論に到達することができるのではないか。ベーコンの「知恵こそ力である」という思想に、幾何学の方法を結合することによって、社会再構成の科学をきずくことができる。第二回目の旅は、こうして、ホッブズを数学的方法を基盤とする野心的な哲学者にしたてあげた。自然にかぎらず、社会もまた、システムとしてとらえることができる。システムとしてとらえた社会は、自然と同じく、これを操作し、しかもつくることができる。運命としての社会ではなく、人為の社会という思想が、こうして登場する。(p18)


 "運動"の問題が、当時の哲学界の中心的関心だったことは広く知られるとおりである。ガリレオは「慣性の法則」(The law of inertia)、コペルニクスは「地動説」(The heliocentric theory)によって、自然の構造に革命的理論を提供していた。ホッブズは、ある人にあてた便りのなかに書いている。「ガリレオの著書は、イタリアで、ルターとカルヴィンのすべての本以上に、カトリシズムをそこなうものだといわれている」。ガリレオによれば、運動こそが物体の自然的状態であり、阻害されないかぎり、運動は永久につづく。コペルニクスが示したとおり、地球をふくめて、万物が動いている。この考えは、休止こそが自然の状態であるとする中世の思想に一八〇度の転回を迫るものであった。(p19)


 はじめに、トゥキュディデスを媒介にする歴史的事実の認識と、政治に対する警戒があった。つぎに、ガリレオケプラーに刺激された数学的な方法の習得があった。はじめに述べたように、それが思想家ホッブズの重要な二面であった。
 ホッブズ自身によれば、自然、人間、そして社会という順を追って、演繹的思考によって全体系をきずいたという。それこそが新しい科学だというが、はたして、事実、彼自身が、この手続きをへて思索したとみることができるか。たしかに、彼は、そのような哲学者として、当時の知的世界に重要な地位を確立した。
 しかし、ホッブズが『小論文』から主著『リヴァイアサン』にいたるまで、一貫してえがいた"自然的人間"とは、実は仮定の存在にすぎなかった。実在するのは"社会的人間"であり、これを彼は目撃し、体験し、そして恐怖した。(p20)


 またホッブズの契約の理論も、のちにふれるようにキリスト教的な神との契約の思想に裏づけるられるものであったとみることができよう。神の国ではなく地上の国を構想することが彼の関心事であり、契約をも世俗的なものとして理論化した。しかし、契約を絶対視した根拠は自然法にあり、しかも、自然法は真の神の法であるという考えは第三部の随所に明らかである。その意味でも、ホッブズの契約の思想は純粋に近代的な契約にいたる過渡的な側面をもっていたとみることができる。(p21)


 事実、ホッブズ自身、この本の「総括と結論」のなかで、古代の詩人、弁論家、哲学者からの引用を軽視したと述べ、その理由として、文章の力は装飾よりも中身にあることを強調している。
 「彼は、その生涯の長さを考えると、よく読んだ。しかし、読書よりも思索にふけった。彼は他の人々と同じくらい読書していれば、他の人以上に知ることはできなかっただろうというのが常であった」(p30)


 こうした記述ののちに、第十三章の、有名な自然状態の分析がある。人間は生まれながらにして平等である。平等だからこそ、競争があり、不信を生じ、不信から戦争がおこる。「自分たちすべてを畏怖させるような共通の権力がないあいだは、人間は戦争と呼ばれる状態、各人の各人にたいする戦争状態にある」「絶えざる恐怖と、暴力による死の危険がある。そこでは人間の生活は孤独で貧しく、きたならしく、残忍で、しかも短い」
 マルクスホッブズを人間嫌いであるといったが、ホッブズのこの性格は自然状態の記述のなかに、もっとも鮮やかにあらわれている。(p31)