ホッブズ リヴァイアサンの哲学者

ホッブズ リヴァイアサンの哲学者』田中浩

 ホッブズは史上初の「市民革命」であるイギリスのピューリタン革命期(一六四〇―六〇年)に、人間にとっての最高の価値(最高善)は「生命の安全」(自己保存)にあり、これを確保するためには「平和」が最優先されるべきであると主張していた。(pⅡ)


 ホッブズは人間中心の「自己保存」という考えから、かの有名な「社会契約論」(政治社会や国家は人間が作る)によって、「近代国家論」を構築した。ホッブズは、人間は生来、自由で平等な存在であり、ふだんは平和な「自然状態」に住んでいるが、そこにはまだ国家も法律も存在しないので、「危機状態」(戦争や風水害や地震などの例外状態)になると、人間は生きるために「万人の万人にたいする闘争状態」をひき起こすことになる。これでは人間は「自然状態」においてもっている「生きる権利」=「自然権」(生きるためには人を殺すことさえもかまわない権利)をまっとうできない。それゆえホッブズは、各人が「自然権」を放棄し(具体的には自分を守るための「武器を捨て」)、お互いに「力を合成」して「社会契約」を結び、「共通権力」(ルソーのいわゆる「一般意志」=人民主権。この力は国王権力、議会権力、教会権力、ギルド権力などの特殊権力よりも強い)を作れという。そののち、ホッブズは契約に参加した全員の多数決(民主政治の決定原理)によって代表(契約者全員の意志を代表する人格)を選出する。そして、この代表が選出された時点ではじめて国家=コモンウェルスが成立したとホッブズはいう。なお、ここでのコモンウェルスとは、こんにちのような強大な軍隊・警察権力、官僚組織をもつ巨大国家を意味しておらず、最小限の抑止力をもつ政治体のことである。なお、当時のイングランドは人口五〇〇万人ぐらいであった。
 したがって国家が成立するまでは、たとえ「共通権力」を形成(自然権を放棄して、自己保存のために「力を合成」すること)しても、それだけではキケロー(前一〇六―前四三)のいうようなたんなる人びとの集まり、つまり群衆=マルティテュードにすぎないのである。コモンウェルス(国家、政治社会)が設立され、契約に参加した人びとが選出した「代表」の作る法律を為政者も人民も守って、つまり「法の支配」が実現してはじめて、安全に「生活」することができるのである。(pⅢ)


 「自然状態」とは、法や国家もない状態で、エピクロスのばあいは「平和状態」として描かれている。ホッブズは、「自然状態」はもともとは「平和」であるが、「人間の本性」は欲求の充足を求めるものであり、また身体や判断の能力において人間は平等であるから、そこに争いが起こる。ましてや災害その他の非常事態が起こると「生命の安全」を求めて争いが起こるという。ホッブズはこの状態を、有名な「万人の万人にたいする闘争状態」という形で表現している。「自然状態」論――ここでホッブズイングランドの「国王と議会」の抗争を想定していたのであろう――を用いることによって、ホッブズは「人間」がその「生命の安全」をはかるために政治体(コモンウェルス)を設立する必要性を導出するのである。
 アリストテレスやボダンの政治学では、人間は「社会的動物である」ことから国家を形成するとしていたが、ホッブズのばあいには「自然状態」における不安定な状態から人間が主体的に抜けだす方法・目標として示されていたのである。(p42)


 サラマンカ学派
 この「社会契約論」は、イングランドでは「内乱」期にホッブズやフィルマーによって登場したが、実はヨーロッパでは、それよりも半世紀ほども早く、各国絶対君主とローマ教皇との対立のさいに用いられていたのである。スペインのジェズイット(イエズス会の修道士)の神学者スアレス(一五四八―一六一七)、モリーナ(一五三五―一六〇〇)、マリアナ(一五三六―一六二四)ら「サラマンカ学派」は、ローマ教会(カトリック)の権威と財産を防御し異教徒の国王を攻撃するために、「社会契約論」を用いて暴君にたいする反抗を正当化していた。(p75)


 以上のようなジュズイットの理論家たちの「国王は人民によって選ばれている」ということばは、「社会契約論」を彷彿させるであろう。これらの「社会契約」的理論が乱れ飛ぶなかで、ホッブズは、ジェズイットとは異なる近代的な「社会契約論」を『法の原理』や『市民論』のなかで構築していったのであり、ホッブズの真の論敵フィルマーは、ジェズイットの「社会契約論」を粉砕する作業を通じて、最終的にはホッブズの「近代的社会契約論」と対決していたのである。このようにみると、ホッブズ政治学における「社会契約論」は、一六―一七世紀の全ヨーロッパにおける「宗教改革」以来の「ローマ教皇」と「各国の世俗的主権者」との「最終戦争」に決着をつけるために書かれていたことがわかる。(p77)


 カルヴァン主義の「抵抗権」理論
 ホッブズ政治学でもっとも論争をよぶのは、代表(主権者、最高権力者)には「コモンウェルス」の安全をはかり、人びとの「生命の安全」(自己保存)をはかるために「強い力」を与えよ、また「代表」には反抗してはならない、という文言である。ここから、ホッブズは結局は絶対君主の擁護者ではないか、とすれば主権者は人民の契約によって選ばれるという「社会契約論」と「主権者には反抗してはならない」という考え方との矛盾をどう考えたらよいのか、という問題につきあたる。
 このことを述べるまえに、カルヴァン主義の「抵抗権」理論(暴君には抵抗してもよいという論理)について述べておこう。
 当時、各国主権者すなわち国王にたいする反抗(悪い君主には反抗してもよい)を説くもっとも強力な理論はカルヴァン(一五〇九―六四)主義の政治学であった(同じ「宗教改革派」のルター(一四八三―一五四六)派は、各国君主への服従を説いた)。
 カルヴァン主義の政治学は、世俗的権力にたいする精神的権力の中世的優位をふたたび主張し、国王は教会のたんなる代理人であるとみなし、主権は神によって選ばれた人びとの「総会」におき、それは国王を聖徒の下位に立つものとみなした。
 カルヴァン自身は、為政者が「神の法」に反することを命じ臣下のばあいを除いては、臣下の君主への服従を命じていた。しかし、かれの弟子のスコットランドのノックス(一五〇七―七二。長老教会の創設者)やランゲ(一五一八―八一。フランスの外交官)たちは「反抗の権利」や「カトリック君主」の殺害を公然と唱えていた。
 この頃書かれたモルネ(一五四九―一六二三)の『暴君にたいする抗弁』(一五七九年)では、①政府はおのれのもの、なんじのものということばは、物の所有にかんして市民のあいだに差異ができたため、境界の権利をめぐって隣国間に戦争が起こったときに作られた。なお、ホッブズも『哲学者と法学徒との対話』(一六六六年頃執筆)のなかで「おのれのもの」と「なんじのもの」ということばを用いている。②人間は自分たちの労働によって財産を取得する。かれらは契約にもとづいて政府を確立した。この契約は各人の財産が保障されるならば守らなければならない、と述べている。この理論は、のちにロックがその『政治二論』の第二部のはじめの部分で用いた。(p78)


 さらに、オランダのグロティウス(一五八三―一六四五)は、『戦争と平和の法』(一六二五年)において、①「人間の本性」には、自然法によって知りうる、また自然法の教えをおこなう能力が賦与されている。したがって自然法は「正しき理性の命令」である(この点ではホッブズと同じ)。②所有権は人間の意志によって導入されたもので、自然法がこれを認めている(ロックがこれを踏襲している)。私有財産は、最初は共有であったが、やがて人びとは互いに土地を分割して所有するようになった。③孤立した家族は侵害にたいして弱いものであるから、かれら自身の発意で国家社会を形成し、そこに国家権力が生じた、と述べている。
 もっとも、グロティウスは、主権はつねに人民にあるとか、人民は無制限な反抗権をもつとか、カルヴァンのように下位の行政長官が法規に違反し、国家にたいして罪を犯したばあいにはこれを死に処しうること、また公然と人民に敵対する国王にたいしては戦争をおこないうることを主張している。つまり、グロティウスは「人民主権論」や「抵抗権」を明確にはいっていないが、「生命と財産」が危険に陥ったときは、国家は人間が形成した目的からいって、人民が国王に抵抗することを認めている。(p81)


 自然法思想家たちのなかで、「不平等」問題を最初に真正面から取りあげたのはルソーであった。ホッブズやロックは「生命の安全」や「財産」を保障する問題を解決するために自然権自然法思想によって封建的絶対主義に対抗することに追われ、「不平等」の問題を真正面から取りあげるまでには至らなかった。しかし、ルソーが生きたフランス社会は、イギリスほどには民主主義が進んでいなかったために、封建的絶対主義からの政治的抑圧と初期資本主義から発生した社会的・経済的矛盾という二重苦にあえいでいた。
 こうした状況をみたルソーは、一七五五年に『人間不平等起源論』を書き、少数の富裕な者が多数の貧困者を集めて物を作らせると「金をもうけることができる」ということに気づいたときに「不平等」がはじまったと述べている。(p137)