民衆の権利との対立

『国家の神話』エルンスト・カッシーラー 講談社学術文庫

 十七世紀の政治哲学のもつ合理的性格は、その基本原理を分析する代わりに、その一般的方法を観察すれば、さらに明瞭になる。社会秩序の原理問題に関しては、絶対主義の体系――ボダンやホッブズの体系――と、民衆の権利や人民主権の擁護者との間に激しい対立が見出される。けれども、両陣営は、互いにいかに争っているにしても、一つの点では一致している。両者とも同じ根本的な仮説に立ち返ることによって、自己の論点を証明しようと努める。〔すなわち〕国家契約説は、十七世紀においては、政治的思惟の自明の公理になるのである。(p295)


 ホッブズの理論は、その極まるところ、支配者と臣下の法的契約がひとたび締結されれば解除しえない、という逆説的な主張に到達する。個人がそのあらゆる権利や自由を放棄する服従契約は、社会秩序に導く必須の前提、その第一歩にほかならない。しかしながら、それは、ある意味において、また決定的な一歩でもある。それ以後、個人は、もはや独立したものとしては存在せず、自己自身の意志をもたない。社会の意志は、国家の支配者に一体化される。この意志は無制限のものであり、絶対君主と並び、またそれを超える他のいかなる権力も存在しない。むろん、これは社会契約の一般的概念から証明することも正当化することもできない根拠のない仮説であった。なぜなら、ストア哲学自然法論と結びつくとき、この概念はまさに正反対の結論に到達したからである。(p297)