ルター派とカルヴァン派の対立

『陸と海 世界史的な考察』カール・シュミット

 ルター派のドイツ諸侯と貴族たち、とくに神聖帝国において初めてプロテスタントの領主となったザクセン選帝侯は、[ルドルフ二世のような]カトリックの神聖皇帝にも、忠誠を尽くそうとしていた。ドイツのプロテスタントの貴族たちは、カルヴァン派に刺激されて、戦闘同盟、いわゆるウニオンを結成する一方で、カトリックの貴族たちも戦闘のための組織リーガを結成していた。
 ルター派ザクセン選帝侯は、このどちら側につくべきかで迷っていた。一六一二年になっても、ザクセン選帝侯はカトリック同盟リーガに参加するかどうかの交渉をつづけていた。
 ルター派は、ローマ教皇派を憎むのと同じように、カルヴァン派も激しく憎んでいた。その憎悪の強さは、カルヴァン派にたいするカトリック側の憎悪にも劣らぬものだった。このようなルター派カルヴァン派への憎悪の強さは、ルター派が公的な権力に服従するという原則を守っていて、はるかに急進的なカルヴァン派と対立したことだけでは説明できない。その真の理由はドイツが、当時のヨーロッパ諸国が展開していた新世界の占領活動から除外されていたこと、そして新世界の土地を占領しようとするヨーロッパ諸国の世界的な抗争のうちに、いわば外側から巻き込まれたという事情にあった。ドイツは同時に、国内の南東部ではトルコ人の進出に悩まされていた。
 [カトリックの]イエズス派と[プロテスタントの]カルヴァン派の対立構図のもとで、ドイツはスペイン、オランダ、イギリスの諸国から、ドイツの国内事情とはまったく関係のない決断を下すことを迫られていた。ドイツの諸侯は、イエズス派ではないカトリックであるか、カルヴァン派ではないプロテスタントのいずれかだったので、自分たちとは本質的にかかわりのない争いに巻き込まれないようにしていた。ただしそのために必要だったのは、自前の強力な戦力と断固とした態度だった。それが欠けていたために、ドイツ諸侯は「受動的な中立」と呼ばれる状態に陥ったのである。そのためドイツは海外での土地の占有戦争には加わっていないにもかかわらず、自分たちとは本質的にかかわりのないはずの海外での土地占有の戦いが、自国の領土内で戦われる羽目になったのである。
 カルヴィニズムは、戦闘的な新しい宗教だった。[ユグノー派などを通じて]海のエレメントに決定的に進出したことで、それにふさわしい宗教となった。フランスのユグノー派も、オランダの独立戦争の戦士たちも、イギリスのピューリタンも、カルヴィニズムを信奉していた。またドイツ国内で、海軍力を増強して、植民地の獲得競争に参加しようと考えていたごくわずかな諸侯の一人であるブランデンブルク大選帝侯もまた、カルヴィニズムを信奉していた。
 またスイス、ハンガリー、その他の内陸国カルヴァン派の教団は、海のエネルギーを追求する運動に加わらなかったために、世界政治の観点からは重要性をもたなかった。カルヴァン派でないすべての教団は、カルヴィニズムの信仰、とくに救済される人は永遠に予定されているという「予定説」に恐怖の念をいだいていた。しかし世俗的な観点からみるとこの予定説という信仰は、自分たちは滅びに定められた堕落した世界とは別の世界に属しているという意識が、極端なまでに高揚したものにすぎない。現代的な社会学の用語で表現すれば、自分の地位と歴史的な時代性に確信をいだいているエリートの自己意識の極限的な表現である。もっと簡単に人間的に言えば、それは自分は救われているという確信であり、この救いこそが、人間のいかなる思惑をも超越した世界史の決定的な意味であるという確信である。オランダの独立のために戦った組織ゴイセンに参加した人々は、この意識のもとで、栄光の歌「陸は海となり、自由になる」を歌ったのである。(p197)