過剰による貧困

『ポスト資本主義』広井良典

 生産性をめぐるパラドックスと"過剰による貧困"
 かつての時代であれば、そうして生じた余剰の労働力は別の新たな生産に従事し、そこで次々と新たな需要が生じ、全体として社会がより豊かになっていくというサイクルが働いていたのであるが――私はこれを「労働生産性上昇と経済成長の無限のサイクル」と呼んできた(広井(二〇一五)等)――、現在では上記のように際限なく新たな需要が生まれるという状況ではなくなり、結果として、皮肉なことに"生産性が上がれば上がるほど失業が増える"という逆説的な事態が生まれているのだ。(p131)


 すなわち、技術革新とその帰結としての大幅な労働生産性の上昇により、われわれは以前のように汗水たらして働かなくてもよくなり、"楽園"の状態に少しずつ近づきつつある。ところが困ったことに、「すべてのものを働かずに手に入れられる」楽園においては、成果のための給与が誰にも支払われないということになり、結果として、そうした楽園は、社会的な地獄状態――現金収入ゼロ、一〇〇%の慢性的失業率――になってしまうことになる(田中(二〇〇八)参照)。
 これは納得しがたい議論のようにも響くが、要するに「生産性が最高度に上がった社会においては、少人数の労働で多くの生産が上げられることになり、人々の需要を満たすことができるので、その結果、おのずと多数の人が失業することになる」ということである。(p132)


 これはある意味で "過剰による貧困" とも呼ぶべき状況であるだろう。かつての時代は "欠乏による貧困"、つまり生産の不足あるいは生活に必要な物資の不足が単純に貧困を意味したわけだが、現在の先進諸国あるいは発達した資本主義の国々では、むしろ以上のようなメカニズムを通して、 "過剰→失業→貧困" という新たな事態が生じているのである。
 しかも、ここで "過剰による貧困" と呼んでいる状況はそれだけではない。こうした事態が強まれば強まるだけ、雇用をめぐる競争は激化し、限られた雇用の椅子をいったんは得ている者も、不安にかられて過重な労働を行い、ストレスや過労や健康悪化に悩まされることになる。(p133)