進歩思想の終焉

アウシュヴィッツと知識人』E・トラヴェルソ

 彼がこの論文で得た結論は、発表して数ヵ月後、ヒロシマナガサキへの原爆投下によって裏づけられたようである。『ポリティックス』の一九四五年八月号にある彼の論評は、戦争終結を歓迎する熱狂的合唱のなかで不協和音として響いた。彼には、この行為が連合国の勝利からあらゆる倫理的価値を取り去ったように見えたのだ。ヒロシマの直後、彼は熱っぽくこう書いている。
 「爆弾は、おそらくそこに暮らしていた三十四万三千人の大部分を含めて、町の三分の二を一瞬のうちに破壊した。警告は一切なかった。この残酷な行動は、文明の擁護者たる"我々"を、マイダネクの殺し屋たる"彼ら"と同じ道徳的水準に置く。そして"我々"アメリカ市民は、"彼ら"ドイツ国民より以上でも以下でもなく、この恐怖に責任があるのだ」。
 アウシュヴィッツ後、ヒロシママクドナルドに、第二次世界大戦の人道に反する罪は歴史の偶然事ではなく、正真正銘の西欧文明の産物であることを確認させたようである。フランスでも、類似した考察が、同時期に、もう一人の孤独な声、アルベール・カミュによってなされていた。かくして原爆は、無政府主義的平和主義の傾向を採るマクドナルドの知的・政治的歩みにおいて、決定的な転観点を画したのである。この出来事から、彼は様々な"社会的"(伝統的な戦争は以後、「時代遅れ」になった)・"倫理的"(「そのような破壊力を使う者は人類の外に位置する」)・"歴史的"(「原爆は我々が創造した社会形態の自然な産物である」(RP、一〇三頁)結論を引き出した。
 結局、ヒロシマは、彼が既にナチの絶滅収容所に関する論文で開始していた道具的合理性と技術的近代性批判を先鋭化させるに至った。彼からすると、原爆は、啓蒙思想から継承して、自由主義的理論や、様々な流派の社会主義思想が共有した西欧文化の二つのパラダイムの徹底的な再検討を迫るものだった。つまり、一つは近代的科学と技術の"中立性"もう一つは"進歩理念"の再検討である。彼はもはや、技術は「善または悪への潜在力」を秘めており、すべてはその扱い方次第であるというようなイデオロギー的「平板さ」は認めない。捨てねばならないのは、「マルクス主義者にも保守主義者にも擁護され、西欧思想の基本軸を成した科学と進歩への信仰」(RP、一〇六頁)である。彼は、アウシュヴィッツヒロシマを、現代文明の基礎そのものの再検討を促す否定し難い関係が存在する二つの罪として捉えている。
 「原爆とナチの死の収容所は、進歩向上という意味で世界の変化を期待していた人間を虐待し、堕落させ、窒息させている。近代科学技術には、マルクス主義の図式が描いた解放作用よりもはるかに強力なものとして現れた、反人間主義的なそれ自身の力学があったのである」(RP、一〇六―一〇七頁)。
 彼の技術批判は、翌年、「ルーツは人間である」において体系化された、決定的なマルクス主義放棄の出発点であった。彼はそこで、マルクスの思想を、十八世紀以来西欧哲学を支配してきたテーマ、即ち進歩理念の最も確かな表れとして定義づけている。この理念とは、生産力と科学の発展が、自然に対する技術の支配が増すことによって、人間の解放をもたらすという確信に基づく。マルクスローザ・ルクセンブルク、特に死ぬ少し前のトロツキーは「野蛮」を文明の後退・混沌・衰退形態、いわば「ローマ帝国の滅亡」の繰り返しであると理解していた。それに対し、第二次世界大戦によって示された野蛮は、ナチの収容所と原爆が例証するように、「科学的な組織の勝利」に結びついていた。原爆がその帰結をいかんなく発揮して見せた、近代技術の破壊的潜在力に対して、マクドナルドは、"ヒューブリス"という古いギリシアの観念、即ち、神々の怒りを招く、あの度し難い征服の意思を再発見している〔これは、ギリシア悲劇で神々に対する思い上がり、挑戦を意味し、その報いで天罰を受けることを指す〕(RP、一一〇頁)。そこに、同時期に、ギュンター・アンダースが書いた「プロメテウス的恥」との明白な類似を見るのはたやすいことである。(p206)