対日参戦の要請

『第二次大戦下ベルリン最後の日 ある外交官の記録』新関欽哉

 さらに、これはあとになって判明したことであるが、ヤルタ会談におけるルーズヴェルトの最大の譲歩は対日政策に関するものであった。
 当時、太平洋方面の戦況が米国にとり著しく有利に展開しつつあったとはいえ、日本に対する米国の勝利の見通しはまだ立っていなかった。マルタで行なわれた米英会談で、両国の軍事指導者は、対独戦争の終了を早くとも七月一日、遅ければ十二月一日と推定し、日本との戦争はその後一年半続くものと判断していた。しかも、太平洋の島々における日本軍との戦闘の経験から、日本本土に対して上陸作戦を行なうとすれば、少なくとも五十万人の死傷者が出ると計算していた。
 そこで、対日戦争の終結を急ぐルーズヴェルトとしては、ソ連の対日戦争参加が不可欠であると考え、是が非でもヤルタ会談においてスターリンから対日参戦の確約を取りつけようとしたのである。ルーズヴェルトの要請に対し、スターリンは対独戦争終了から二、三か月後に対日戦争に参加することを承諾したが、その際スターリンは、つぎのように言明したといわれる。
 「ソ連人民は、ソ連の生存を脅かしたドイツに対する戦争の必要性は十分承知しているが、少なくとも最近はソ連との間になんの紛争も起さなかった日本に対してなぜ戦争を始めるのか、理解することができないであろう。従って、ソ連人民に納得させるためには、具体的に日本との戦争によって国家的利益が得られることを示さなければならない。」
 そして、スターリンは、対日参戦の条件として、満洲鉄道や旅順、大連に対する要求とともに南樺太の返還および千島列島の譲渡を要求したのである。
 しかしながら、南樺太のように日本が戦争によって獲得したのとは全く事情を異にする千島列島については、(1)南千島は非武装の原則を守る日本に保有させる、(2)北千島および中千島はソ連を直接の統治国として国際機構の管理に委ねる、(3)北千島までの水域に日本が漁業権をもつことを考慮する、との三点をふくむ国務省作成の文書が予め用意されていたにもかかわらず、交渉妥結を急ぐルーズヴェルトはこれを顧みることなく、スターリンの要求をそのまま鵜呑みにした。ルーズヴェルトスターリン会談の通訳を勤めた国務長官補佐官ボーレン(のちソ連大使)は、回想録のなかで、大統領は、千島列島も日本が日露戦争でロシアから取得したものと考えていたに相違ない、このように「米国人が居眠りをしていたため」、ソ連は、日本が暴力によらず平和的な交渉で手に入れた千島列島を自分のものとすることができた、そればかりでなく、この密約は千島列島にふくまれる島々の名前を列挙していなかった、その後ソ連が日本に対して参戦したとき、ソ連軍は日本が固有の領土と主張する四つの島まで占領してしまった、との趣旨を述べている。
 なお、極東問題についての交渉はルーズヴェルトスターリンの二人だけで秘密裡に行なわれ、チャーチル英首相がこれに加わらなかったばかりでなく、ステッティニアス米国務長官すらも同席を認められなかったのである。(p109)


東條英機歴史の証言 東京裁判宣誓供述書を読みとく』渡部昇一

 ソ連背信行為、そそのかしたルーズベルト
 昭和二十年(一九四五年)二月、ヤルタ会談において、ソ連が日ソ中立条約が有効な期間中であるにもかかわらず、わが国の領土を獲得する条件をもって対日戦に参加する約束を連合国側と取り付けた事実が取り上げられています。
 これは非常に大きな問題で、A国とB国が中立条約を結んでいるのに、第三国であるアメリカが、それを侵すようにそそのかしたわけです。それだけでもアメリカ大統領ルーズベルトは大いなる戦争犯罪人です。
 それから六〇年も経って二〇〇五年、ブッシュ米大統領が、バルト三国を訪ねた際に自分の先輩であり、米国史上最大の大統領と言われるルーズベルトを、この件で批判するような発言をしています。これは「ブッシュのヤルタ会談批判」として報道されました。(p150)