戦争と同盟の舞台裏

朝鮮戦争の謎と真実』アナトーリー・ワシリエヴィチ・トルクノフ

 解説 戦争と同盟の舞台裏  下斗米伸夫

 一九四五年八月、日本の降伏とソ連軍による関東軍武装解除、そして「朝鮮の解放」(ワシレフスキー)のなかで、金日成パルチザン軍とソ連との関係がいっそう強化され、朝鮮民主主義人民共和国が形作られた。四八年九月には金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国政府が成立し、秋にはソ連軍も北朝鮮から撤退しはじめた。アメリカ軍も四九年に撤収する。もっともソ連軍関係者は経済管理などのためにソ連市民管理局といった形で一部はのこった。
 だがソ連の指導者は冷戦時、総じて、朝鮮半島問題にあまり関心を示さなかった、というのが本書の主張でもあるが、歴史の真実であろう。ソ連の歴代最高指導者でこの地を踏んだものはその後も誰もいなかった。フルシチョフ回想録でも知られたように、戦争を始めたのは金日成であった。スターリンが五〇年秋北朝鮮の当初の敗北後、アメリカが隣人となったとしてもかまわない、と言ったのはある意味でソ連指導部の本音でもあった。ちなみにソ連とロシアを通じて最高指導者が平壌を訪問することは、二〇〇〇年沖縄サミット前のプーチン大統領までなかった。その意味では朝鮮戦争イデオロギー面のみから見ることがいかに間違っているかにつながる。(p13)


 第二次世界大戦によってソ連経済は打撃を受け、西部国境からウラルにいたるまで荒廃した、ソ連の軍事支援が香港と台湾の解放に向かえば米国との対立は避けられず、世界大戦の口実となる、ロシア国民はこれを許さないだろう、と。第三次世界大戦が生じる可能性は、フルシチョフが第二〇回党大会でのスターリン批判で指摘したように、スターリンの脳裏を片時も離れない問題であった。(p14)


 こうしたなかで朝鮮戦争の幕引きが決まった。スターリンの外相でありながら、朝鮮戦争時は不興を買って外相をはずされ、スターリンの死後外相に復帰したモロトフも、チェーエフという人物に語った回想のなかで、「スターリン死後、朝鮮戦争を終わらせることにした。この問題はわれわれには不要だった。当の朝鮮人がわれわれに押しつけたものであった」と素っ気なく述べている。たしかにソ連から見て朝鮮戦争とはその程度の認識であった。(p18)