ニャー太郎のブログ

休止中。2020年11月13日。

今でもはびこる韓国人の人種差別と階級差別

『韓国は日本人がつくった』黄文雄 ワック文庫

 朝鮮半島は、一八九四年の甲午改革によって、ようやく「四民平等」を宣言した。このときやっと戸籍法が改正され、婦女子だけでなく、賤民や奴婢なども両班や良民と同じように戸籍を持つようになった。
 その後、朝鮮に近代国家としての本格的な社会改革が訪れるのは、日帝の朝鮮統監府から総督府時代であった。このときは、法律の施行によって万民平等の原則に基づく階級差別廃止が断行された。
 朝鮮総督府による門閥廃止、万民平等という社会改革は、朝鮮史上はじめての階級差別廃止政策であった。李朝朝鮮における各階級の比率にはさまざまな統計があるが、ここでは一六九〇年の大邸の人口比率を挙げておこう。京城大学の教授であった四方博氏の論文によれば、両班七・四%、良民(常民)四九・六%、奴婢四〇%である。これは、当時の全国的な比率にも近いと言われている。
 こうして見ると、両班がいかにごく一部の特権階級だったかがわかるだろう。両班の身分は基本的には世襲制だったが、李朝後期には身分の売買も行われていたため、両班の数はじょじょに増えていった。それでも、両班の身分を金で買えるのは成り金の良民であり、奴婢は奴婢のままであった。

 殺しても罪に問われない最下層階級

 ところが、同じく四方博氏の論文によれば、一六九〇年には七・四%しかなかった両班の人口比率は、一八五八年には四八・六%にまで増加している。何代にもわたる世襲、身分の売買、偽資格証等々によって、いかに「自称」両班が激増したことか。「自称」支配階級が人口の半分を占める国などというものは比類がない。他方で、奴婢はまだ三一・三%もあった。いつまでたっても、奴婢には創氏改名どころか氏名を得ること、戸籍を持つことが許されていなかったのである。
 李朝末期には、奴婢のなかにさらに公賤と私賤の区別が生じた。私賤になるのは婦女子がほとんどで、読んで字のごとく個人が囲う奴隷として使役された。彼女らは、日韓合邦当時に至っても一人三〇円で売買されており、その価格はアメリカの奴隷よりも安かったと言われている。
 婦女子の奴婢は特定の夫を持たず、主人に属していた。また、主人も一人ではなく何人かの間を渡り歩くのが風習であった。彼女たちが子供を生んだ場合は、主人の所有物とされ、子供も奴婢として転売されるのである。
 子供が女子であれば私賤として売買されやすいため、その家系は永遠に奴婢の身分から抜け出すことはできなかった。世々代々「浮かぶ瀬あらんや」と言われたものである(『朝鮮農業発達史』『同・政策篇』小早川九郎編著、友邦協会、一九ページ)。
 李朝時代の奴婢たちは、賤民というよりも家畜といったほうが近いほどの扱いを受けていた。現在はそこまでひどい差別がなくなったとはいえ、そのころからの階級意識は根強く残っている。(p238)


 階級差別に加えて地域差別もある

 韓国人は間違いなく、世界でもっとも階級差別や人種差別をする民族のひとつである。そして、韓国人の差別意識に大きな影響を及ぼしたのは、モンゴル人の階級制度と、アパルトヘイト以上に厳しい中国の華夷思想である。……
 ここで特徴的なのは、朝鮮半島には階級差別に加えて地域差別があることだ。それは今でも存在している問題だが、李朝時代の地域的差別は特にはっきりとしていた。西北地方と東北地方の出身者は完全に官界から排除され、中央出身でなければ官吏に登用されることがなかった。
 中国もこれと同様に、揚子江以北の北人は南人のことを差別していたし、宋の太祖は「卑しい南人を決して首相や将軍には起用しない」という祖訓を残している。さらに、この地域的差別は、公然と国家の制度としてなりたっていた。
 一四八五年に完成した李朝基本法典『経国大典』には、「北方の咸鏡道平安道黄海道の者は、官憲への登用はもちろん、鷹師への起用さえ禁止する」との条例まであったほどだ。たとえば平安道人は、平安道奴(ピョンアンドノム)、西漢(ソハン)、平漢(ピョンハン)、平奴(ピョンノム)、避郷奴(ハヤンノム)と呼ばれ蔑視されていた。咸鏡道人は、水売り、咸鏡道奴、咸鏡ネギなどの蔑称を与えられていた。
 日帝時代はこれらの差別を廃止していたが、残念ながら今日の韓国社会では厳然と存在する大きな問題となっている。これは、朝鮮半島の民族的・社会的な永遠の課題と言っても過言ではない。過去から半島に根付いている問題は、そう簡単には解決しないということだろう。(p240)


 南北分断はむしろ幸福なことだった

 過去、門閥を重んじる両班たちは、朝鮮半島から見放された地域、つまり東北、西北地方の被差別民とは婚姻の禁止はもちろん、付きあうことさえ避けていた。これら被差別民たちは、前述のように任官を受けられない者がほとんどで、婚姻関係や付きあいを持っても両班にとって何のメリットもなかったからである。
 それどころか、東北、西北地方は重罪人流刑の地という忌まわしい地域であった。しかし、李朝時代は東北、西北の武人が多かっただけでなく、建国の功臣も多く輩出した地域である。それを李朝の太祖李成桂が恐れ警戒し、彼らを粛清するとともに、高麗朝時代の人脈を完全に排除する目的で、その王都であった開城人の採用を禁止してしまったのだ。北人弾圧に余年のなかった李成桂も、じつは北辺女真族の出身だったとの考証があり、その出自をひた隠すためにわざわざ南人と協調して北人を弾圧、迫害したと言われている。
 このように、朝鮮半島とは長い歴史を通して階級や地域差別、または門閥意識を堅牢に維持してきた半島である。倭乱や胡乱などの外敵による国難に遭遇するたびに、国王一族は都落ちして逃げ延びようとするのだが、それに追い討ちをかけるような民衆による放火、略奪、投石騒ぎが起こるのは、こういった差別や搾取の歴史的背景があるからなのだ。
 今日の南北分断は「一〇〇〇万人離散家族」にとってはたしかに悲劇だが、半島の民衆にとってはむしろ幸福なことだったのかもしれない。なぜなら、半島が有史以来抱えている社会的・経済的・政治的な諸矛盾が、分断によって一挙に解決されたからである。
 南の北に対する差別意識がある以上、南北に真の平和は訪れないだろう。もしも南による半島統一が実現してしまったら、今は陰に隠れている南の伝統的な差別意識が、あっという間に再燃して表面に現れる可能性もある。なぜなら、外敵のいない民族主義とはいかに無意味であるかを歴史が語っているからである。
 現在の北朝鮮・韓国人がそれを危惧しているかどうかはわからないが、南北ともに本気で統一を望んでいるとは思えない。口では統一を叫びながら、まったく実現しないのがいい証拠だ。本気で望んでいるなら、明日にもできるはずだろう。在日の総連や民団の間でさえ南北が対立しているぐらいなのだから、半島統一などは絵に描いた餅にすぎないというのが本当のところではないだろうか。(p242)


 今でもはびこる韓国人の人種差別と階級差別

 これまでの韓国人は、西洋人を「洋奴(ヤンノム)」、日本人を「倭奴(ウェノム)」、「大国人」であった中国人を「垢奴(テンノム)」と呼んだ。中国人がこのように呼ばれたのは、垢だらけで不潔だったからだろう。これが中国人の一般的な第一印象なのだ。
 韓国はかつての南アフリカアパルトヘイト以上の人種差別国家であり、おそらく韓国人自身もそれは否定できないだろう。ことに、在韓中国系朝鮮人在日朝鮮人・韓国人に対する差別は、すでに多くの書物で告発されている。
 在米韓国人は、黒人とヒスパニック系人を差別する。ロサンゼルスで韓国人商店の焼き打ち事件が起こったのも、この差別と関係していると思われるが、韓国のマスコミはそれを韓国人の成功に対する嫉みや東洋人スケープ・ゴートとして取り上げた。生活レベルの低い黒人の焦燥と嫉妬だと論じたのである。まったく自己本位で、自民族の優越意識や人種差別意識から一歩も抜け出していない。
 韓国は世界で唯一チャイナタウン(唐人街)のない国だと自慢するが、それは韓国人が中国人よりも優れていることの証明にでもなると思っているのだろうか。まったく無意味だ。韓国人は、華僑まで差別できる身分だからといって、中国人との競争に勝ったわけでは決してない。
 在韓中国人が「垢奴」と呼ばれて差別されるようになったのは、韓国の事大主義が清国から日本に代わってからである。在韓華僑は台湾系華僑や華人といわれるが、韓中国交樹立までを正確にたどれば、そのほとんどが中華民国籍華僑、山東人である。かつての満州万宝山事件以後、在韓支那人は韓国人に虐殺され、その勢力はいちじるしく衰えてしまい、朝鮮戦争中にもひどい殺害を受けた。土地、職業、出入国の制限は、財産と生活、生存権の剝奪と言える。極端に言えば、ナチスユダヤ人に対する迫害にも劣らぬ行為である。これが、朝鮮半島からの華僑流出の一因となった。
 室谷真実氏の『朝鮮半島』(ダイヤモンド社)によれば、そもそも一五万人を超えていた台湾系華僑は「今や一割もいない」(一二四ページ)という。現在は多少増えたものの、いっとき二万人まで激減したことがある。
 在日韓国・朝鮮人は、ややもすれば指紋押捺などの問題を針小棒大に取り上げて反日キャンペーンに狂奔する。では、祖国における在韓外国人への指紋押捺の強制、人種差別、人権蹂躙などの犯罪行為は、いったいどう釈明するのか。さらに、残念なのは、韓国知識人たちがあまりにも反日・克日に夢中になっており、韓民族の人種差別への狂奔を自己抑制する理性を失ってしまったことだ。
 韓国人は、日本人が「韓国人を差別し蔑視した」と非難しながらも、逆に小中華として日本人を蔑視する。「倭奴」や「チョッパリ(豚足)」呼ばわりするのも、そのためだ。(p244)