背後でコソコソと画策する韓国

『韓国は日本人がつくった』黄文雄 ワック文庫

 伊藤博文は、このような陰謀を裏で企んでいた韓国政府に怒り、高宗に謁見して電報の写しを見せながらこう言った。「かくの如き陰険な手段を以て日本保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるは捷径(早道)なるにしかず」。直情な日本人にとって、背後でコソコソと画策する行為は許せないものだったのだろう。
 ここで、深谷博治著『明治日本の対韓政策』(友邦協会)の一部を引用したい。
 「けれども、日本は非文明的、非人道的な働きをしてまでも韓国を滅ぼさんと欲するものではない。韓国の進歩は多いに日本の望むところであって、韓国はその国力を発展せしむるため、自由の行動をしてよろしいけれども、ただ、ここにただ一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携すべしということ、これである。日章旗と巴字旗(韓国旗)とが並び立てば日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を亡ぼすであろうか。自分は実に日韓の親睦を厚くするについては、自分の赤誠(真心)を貢献しようとしている。しかも、日清・日露の両大戦役の間、韓国は一体何をなしたか。陰謀の外に何をしたか。戦争中は傍観しただけではないか。諸君は、日本が、にわかに来たって、韓国を亡ぼすならんと思うのは、果たして何に基づくのか聞きたいものである。
 日本は韓国の陰謀を杜絶するため、韓国の外交権を日本に譲れというた。だが、日本は韓国を合邦する必要はない。合邦は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも、日本の指導監督がなければ、健全な自治を遂げ難い。これが今回の新協約を結んだ所以なのである」
 深谷博治とは『伊藤博文伝』の編者であり、早大教授であった。このなかで深谷は、伊藤は当時、日韓併合は考えておらず、むしろ反対していたが、最後になって「併合も止むなし」と考えるに至ったと指摘している。そして、日韓合邦は東洋永遠の平和のためであり、日本の自衛のためであり、朝鮮民族の安寧のためであると考えた。これは、当時の日本人のごく一般的な考え方でもあった。伊藤がこのような考えに至った理由も、前掲書に記してある。
 「彼は非常に熱意を持って統監政治にあたっていたにもかかわらず、韓国の国民は、上下ともに日本の統治に対して非常に反感を持っていて如何ともし難いと感じた」
 日清戦争後の下関条約第一条にて、朝鮮独立を要求したのは伊藤博文だったのだろう。伊藤は、「朝鮮の独立というものを最初に認めたのは、個人としては自分が初めてであり、国家として認めたのは日本が初めてである」と公言しているほどなのだから。
 伊藤はまた、韓国朝廷の官吏に対して、「韓国人の何ぴとが自らその独立を主張したであろうか。かつまた、韓国人の何ぴとが自ら韓国の独立を承認したであろうか。あるならば聞きたい。韓国人は、三、四〇〇〇年来、固有の独立を有するように言っているが、自分はこれを承認できない」と問いかけている。もともと併合よりも韓国の独立を望んでいた伊藤だからこそ、このような問いかけをしたのだろう。(p54)