当時の朝鮮の状況

『裏切られた自由(下)』ハーバート・フーバー

 朝鮮は記録では二〇〇〇年の歴史がある。統一王国ができたのは六六九年である〔訳注:百済は六六〇年、高句麗は六六八年に新羅によって滅ぼされた〕。何世紀にもわたって朝鮮は中国に従属した。一八九五年、清との戦いに勝った日本は、朝鮮の清国からの独立を確保した。一〇年後の一九〇五年、日露戦争戦勝国日本は朝鮮を軍事的に占領し、一九一〇年に正式に併合した。日本の占領は、一九四五年八月の日本の敗戦で終わった。
 私(フーバー)が初めてこの国を訪れたのは一九〇九年のことである〔編者注:原稿は一九一〇年となっているが修正した〕。日本の資本家に依頼され、技術者として助言するためであった。当時の朝鮮の状況には心が痛んだ。人々は栄養不足だった。身に着けるものも少なく、家屋も家具も粗末だった。衛生状態も悪く、汚穢が国全体を覆っていた。悪路ばかりで、通信手段もほとんどなく、教育施設もなかった。山にはほとんど木がなかった。盗賊が跋扈し、秩序はなかった。
 日本の支配による三五年間で、朝鮮の生活は革命的に改善した(revolutionized)。日本はまず最も重要な、秩序を持ち込んだ。港湾施設、鉄道、通信施設、公共施設、そして民家も改良された。衛生状況もよくなり、農業もよりよい耕作方法が導入された。北部朝鮮には大型の肥料工場〔訳注:朝鮮窒素肥料〕が建設され、その結果、人々の食糧事情はそれなりのレベルに到達した。日本は、禿げ山に植林した。教育を一般に広げ、国民の技能を上げた。汚れた衣服はしだいに明るい色の清潔なものに替わっていった。
 朝鮮人は、日本人に比較すれば、管理能力や経営の能力は劣っていた。このことが理由か、あるいはもっと別な理由があったのか確かではないが、経済や政治の上級ポストは日本人が占めた。一九四八年、ようやく自治政府ができた。しかし朝鮮人はその準備がほとんどできていなかった。(p363)