韓国よ、歴史の真実を学べ

『月刊Hanada 2019年12月号』

 韓国よ、歴史の真実を学べ  エドワード・ルトワック

 日韓衝突は韓国の問題

 韓国の行動の基本は、従属相手を切り替える点にある。彼らは日本に従属したあと、アメリカに従属した。そして、いまや中国に従属しようとしている。
 韓国のやり方を間近に見てきた日本の皆さんはすでにお分かりと思うが、日韓関係というのは外交問題ではなく、二国間交渉では解決できない。これは韓国自身の問題なのだ。そのことは、ドイツが欧州で直面した歴史問題と比較してみると、分かりやすいと思う。
 第二次世界大戦が終わるまでに、ドイツはロシア人を二千万人以上殺害していた。一九四五年の終戦から十年経っても、ロシアの反ドイツ感情はまだ激しかった。
 それから七十年以上経過した現在、ロシアでは反ドイツ感情はすべて消え去っている。
 韓国人の日本への反感は、七十四年経ってもいまだに残っている。これは一体なぜなのか? 理解するには、ドイツとオランダの関係と比較していく必要があるだろう。
 ドイツが戦時中に殺害したオランダ人の数は、ロシアと比べれば非常に少なかった。むろん戦争が終わる最後の六ヵ月間、オランダは苦しめられたが、これは食糧が底をつきかけていたからだ。
 オランダ人はほとんど殺されなかったにもかかわらず、ドイツ人への憎しみを解消するまで、ロシア人よりはるかに長い時間がかかった。その最大の理由は、ロシア人はドイツと戦ったが、オランダ人はそうではなかったからだ。
 ドイツ人はロシア人を殺し、ロシア人もドイツ人を大勢殺した。そして戦後、お互いに「もう戦いはやめよう」となったわけだ。
 フランス人は遅かったが、それでも一応ドイツに抵抗した。ベルギー人の抵抗の仕方は巧みで、ドイツが作った秩序を崩壊させている。デンマークは国民レベルで抵抗していて、非常に効果的だった。ノルウェーにはレジスタンスの戦士がおり、占領に来たドイツ人をしっかり攻撃した。
 ところが、オランダ人は臆病者で、抵抗しなかったのである。オランダ社会はドイツに服従し、対独協力が大々的に行われた。たとえば、ドイツはオランダ警察を頼って、オランダ国内のユダヤ人を逮捕している。
 若いオランダ人たちは、自分の父親たちが臆病者であったからこそ、戦後に反ドイツ的な感情を持ち続けたのである。
 私の子供時代の体験もこれを裏付ける。両親は戦後、一九六〇年代に車で私をオランダ沿岸部へ旅行に連れていってくれた。
 そこかしこにあった民宿の入口には、もれなく「ドイツ人お断り」という看板が掲げられていた。
 同じ時期、私はユーゴスラビアダルマチア地方の沿岸部にも連れていってもらったことがある。当時、私たち家族はイタリアに住んでいたので、車で遠出することができた。
 この地域は第二次世界大戦中、ユーゴスラビア王国とドイツとの激戦地で、戦死者もたくさん出たが、ユーゴの人々はドイツからの旅行者を大歓迎していた。
 その理由は、ドイツ人がユーゴ人を殺し、ユーゴ側もドイツ人を大勢殺したからだ。彼らは決して臆病者ではなく、立ち上がり、戦ったのである。誰も自分たちの父を恥じることなく、誇りを持てた。だからこそ戦後、ドイツ人に対して友好的になれたのである。(p36)


 韓国人のトラウマの構造

 これらを踏まえて、朝鮮問題を考えてみよう。韓国や北朝鮮で製作されたプロパガンダ映画は数多い。勇敢な朝鮮兵、韓国兵が無法で残虐な日本軍を撃退する、というワンパターンのストーリーだ。だが、一九四五年までの朝鮮半島で、実は抵抗運動(レジスタンス)と呼べるようなものはほとんど発生していない。朝鮮人たちは概して服従的だったのだ。
 むしろ多くの人々は、服従以上の態度で自発的に日本に協力し、日本軍に積極的に志願したのである。その数は八十万人にのぼるが、そのなかには朴槿恵前大統領の父親・朴正煕元大統領も含まれていた。
 彼は日本名である「高木」を名乗り、自分の血でしたためた血判状をもって、当時の満州国の軍官学校、陸軍士官学校に志願し、入学した。極めて優秀な成績だったという。
 私は、彼が暗殺される数ヵ月前に会ったことがある。一九七九年、私と夕食をともにした席で、彼は若い頃の夢について語った。それは日本軍の勲章をもらい、大佐として退役することだった(実際は中尉で退役)。
 二〇一九年の韓国に話を移そう。韓国人はいまだに、自分たちの父親や祖父たちが臆病者で卑屈だったという心理的なトラウマに悩まされている。これはオランダ人のケースと同じだ。
 ロシア人やユーゴスラビア人、そして静かだが強力に抵抗していたベルギー人とも事情は異なる。
 ベルギー人の抵抗について付言しておけば、彼らはたしかにドイツと戦闘こそほとんどしていないが、ドイツへの妨害、サボタージュは完璧だった。ドイツ人がオランダとベルギーを占領したあと、地元の警察に「ユダヤ人を逮捕して収容所行きの列車に乗せろ」と命じた。
 ベルギーは第一次世界大戦の開戦直後、ドイツの侵攻で占領された。次の第二次世界大戦でも同じだった。そのおかげで、ベルギーのおばあさんたちは見抜かれないような偽文書作りの能力を身につけた。彼らは「ドイツ人の騙し方」を学んだのだ。
 ベルギーはとても小さな国で、ユーゴスラビアの山岳地帯のように、隠れて抵抗運動を続けられる地理的な環境もない。それでも、彼らは非常に効果的に抵抗した。「ドイツの言うことを聞かない」ことだけを狡猾に行ったのである。
 ベルギーにはドイツから逃れてきたユダヤ人だけでなく、非ユダヤ系だがナチスに反対するドイツ人も多く在住していた。反ナチスのドイツ人たちは、ヒトラー政権の下で、オランダとベルギーに逃げ、ベルギーは彼らを守った。
 これは、ベルギーによる静かな抵抗の多くの実例の一つにすぎない。ベルギー政府はドイツに「ノー」とは言わなかったが、決してドイツの望むことはしなかった。
 しかし、オランダはドイツに協力して逃亡者たちを逮捕し、引き渡した。彼らは強制収容所に送られ、オランダに逃れた人々はことごとく死んだ。
 オランダは、まるでドイツの使用人のように振る舞っていた。だからこそ戦後、ドイツ人を長期にわたって憎み続けることになった。
 一九四五年以降のオランダ政府の国民に対するメッセージは、二つの嘘で塗り固められていた。第一に、戦時中、ほとんどドイツへの抵抗運動がなかったにもかかわらず、話を膨らませて大々的に抵抗していたかのように装ったこと。
 そして第二に、対独協力は個別のケースで存在したが、政府ぐるみで協力していた事実はなかったとしたことだ。
 これが完全な嘘であることは、アンネ・フランクが逮捕された事実を考えればよく分かる。彼女の家族は逃げて居場所を隠したにもかかわらず、誰かがオランダ当局側に居場所を教えたのだ。これはオランダ人社会に、大規模なドイツへの協力組織があったことを示している。
 そして、これは大きな政治的副産物を生んだ。オランダは、ドイツが北大西洋条約機構(NATO)に加入するのを拒否したのである。NATOはドイツを必要としていた。なぜなら当時の西ドイツは、社会主義東ドイツと国境を接する、西側の最前線に位置していたからだ。
 ところがオランダは、独自の反ドイツ感情に突き動かされて、ドイツのNATO加盟を阻止しようと運動したのである。
 韓国人たちと同じように、オランダ人の反ドイツ感情は長年にわたって維持されたのだ。(p37)


 韓国人の反日心理

 それと同じ構図で、韓国が抱える問題も韓国人の内面に起因する。つまり、戦後生まれの息子たちと、その父親や祖父たちとの関係の話であって、外交や二国間交渉で解決できる問題ではない。
 つまり、これは心理的な問題だ。自分たちの恥である祖父の世代の奴隷的な態度を隠したい、忘れたい一心なのである。
 ここに新たな問題の根がある。今日の韓国は、従属相手を切り替えて中国の従僕になろうとしており、そこに戦略的な問題が出てくる。それは韓国が、アメリカの主導する反中国・封じ込め同盟に参加できないことを意味するからだ。
 この同盟は、日本、オーストラリア、インド、ベトナムによって構成されるインド太平洋地域の戦略的枠組みである。……

 苦悩に満ちた再評価の義務

 フランスでは戦時中、実に多くの一般人がドイツの軍需工場で半強制的に働かされていた。
 現在のフランス政府が、このような過去の不幸に遭遇したフランス人に損害賠償するよう、ドイツを非難する声を上げることはない。
 ドイツがフランスに対して実際に行った行為は、日本の朝鮮半島での行いよりもはるかに過酷だった。道を歩いていた人を連行して働かせた。ドイツ人はフランス人を追放し、射殺し、フランス国内から馬車三万両分の財宝を奪っている。小麦から鉱物資源、美術品からトラックまで、ありとあらゆる財産を略奪したのだ。
 しかも、ドイツはフランスで学校を建設するようなことをしなかった。
 一方、日本は朝鮮半島のインフラを整備し、京城帝国大学や多くの学校を作った。
 ところが二〇一九年現在、ドイツに対して公的に損害賠償を要求する人がいれば、フランス国内では変人扱いされるようになっている。
 こうした状況から、実に多くのことが見えてくる。日本の外交官は韓国との関係を改善しようと、ありとあらゆる手を尽くした。両国間の歴史問題を解決するため、彼らは懸命に任務をこなしてきた。ところが、その努力はすべて無駄だった。
 なぜだろうか? それは、韓国側が「苦悩に満ちた再評価」(agonizing reappraisal)をしなければ何も始まらないからだ。これをシンプルな言葉で言い換えれば、「認めたくない自分の姿や立場を直視する」ことだ。これは実に苦しい作業であるが、韓国自身がこのプロセスを開始しなければ、日韓関係は何も変わらないのである。
 韓国は日本人に、歴史の真実と向き合うよう要求してきたが、実は歴史を直視しないと問題解決できないのは彼らなのである。
 すなわち韓国人は、まだ生き残っている父たち世代の記憶や死んだ祖父たちの記録と対話することによって歴史の真実を知り、過去を直視しなければならない。彼らはそこで、ようやく正しい軌道に乗ることができるのだ。
 オランダ人は韓国人と同様に、「苦悩に満ちた再評価」の努力をしなかったため、彼らの心理の奥底に弱さを抱えることになった。表面上は、ドイツ人に対する反発の感情は、三十年ほどでオランダ人から消えた。韓国のように、七十年以上も騒ぎ立てることはしていない。
 しかし、ドイツに対する表立った反感は消えても、オランダ人の心のなかにはその問題が熾火のように残り続けている。たとえば対独協力者の行動は、いまだに続々と文書記録から発見され、史実であることを裏づけている。(p40)


 歴史的事実を直視せよ

 以上の私の分析は、日韓関係とは何の関係もなく、未来に向けていかなる解決策も示していないように思われるかもしれない。しかし私は、ヨーロッパの歴史問題が示唆するように、日本側にも具体的な解決策はあると考えている。
 それは、日本政府が日韓にまつわる近現代の歴史の真実について、真剣に研究する本物の公的プロジェクトに資金を提供することだ。忙しい外交官でも、歴史的な事実が彼らの仕事に大きな影響を及ぼすものであることを知っている。
 その唯一の問題解決策となるのが、調査研究によって、懸案となっている日韓関係史の本当の姿を浮かび上がらせることだ。
 「苦悩に満ちた再評価」のプロセスは実に難しいものだが、オランダでは一九六〇年代後半からようやく始まり、オランダ国内でも、公式見解とは違う歴史観が浮上することになった。
 それは、歴史の真実を示す一つひとつのエピソードが具体的に浮かび上がることから始まった。公式見解では「レジスタンスは大規模に行われていた」とされていたが、時が経つほど、それを否定する具体例がどんどん出てきたわけだ。
 ドイツのために働き、ドイツのために盗みを働いたようなケースが研究論文として文章化され、積み上げられた。それが「歴史の重み」となって、従来の政府見解の嘘を覆すようになった。
 韓国においても、こうした対日協力の具体的検証は必要だが、同時に日本側が朝鮮半島の開発と発展にどれだけ大きな貢献をしたか、事実を積み上げていくことも大事になる。インフラ、経済、教育、司法、実に様々な制度を近代化させたからだ。……
 私はここまで、比較歴史の観点から韓国問題を分析した。もし本稿で提案した歴史調査委員会のような組織ができれば、中立な立場の私がその代表に就任してもよい。(p42)