クリミア戦争についてのルポルタージュ②

マルクス ある十九世紀人の生涯(下)』ジョナサン・スパーバー

 幾つかの点で、マルクスの報道はもっと大きなイギリスの公論の流れの上を漂っていた。政治家やジャーナリストたちは政府の煮え切らない政策を批判していた。クリミアに派遣されたイギリス軍の体たらくぶりは、議会の査問委員会の設置と内閣の辞職のきっかけとなった。後を継いだのは、老練なホイッグの政治家ヘンリ・テンプル、すなわちパーマストン子爵であり、彼はより効果的に戦争を遂行すると約束した。パーマストンは自らの約束に忠実であった。包囲されていたセヴァストーポリが一八五五年十月に陥落し、ロシアは翌年に和平を求めた。(p23)


 これに関して、マルクスはイギリスの公論の大部分と意見を違えた。彼は次第に、女王陛下の政府の外交上の策略と偽装の背後に鼻持ちならない事実があると確信するようになった。それは、ホイッグの領袖にして首相であるパーマストン卿が、実はツァーリから金を貰っている間諜だというものであった。マルクスはこの見解を『ニューヨーク・トリビューン』という公的なジャーナリズムと、エンゲルスをはじめとする政治的同志たちとの私信の双方で主張し続け、一八六〇年代に入ってもそうした意見を繰り返した。議会刊行物を渉猟したマルクスが決めつけたところでは、ロシアのスパイとしてのパーマストンの活動は少なくとも四半世紀前にまで遡り、かつての大臣在任中の彼の政策は、ポーランドからアフガニスタンに至るまでの世界中のロシアの敵対者たちの利益を損なうことを目的としたものだったという。マルクス大英図書館にあった古いパンフレットを読んで、パーマストンは高位にある者のなかで最初の売国奴だというわけではなく、ロシアによるホイッグの政治家の買収は一〇〇年以上前から続いてきた慣行なのだという結論に達した。彼はこの告発を一八五六~五七年に、いずれも『ザ・フリー・プレス』という名であったシェフィールドとロンドンの新聞のために書いていた一二回の連載の中で略述した。これらの記事はより大部な未完の著書の一部にすぎなかったが、彼の死後、娘のエリナによってまとめられ、『十八世紀の秘密外交史』として刊行された。(p23)


 マルクスが自説を活字化した二つの新聞を所有していたイギリスの政治家デイヴィッド・アーカートは、奇天烈で邪悪な魅力を備えた人物であった。アーカートはこんにちなら「オリエンタリスト」と呼ばれる、イスラーム世界の人びとの社会と文化が西洋のそれとは大きく異なり、相容れないものだと信じている人物であった。しかし、東方の「他者」がヨーロッパよりも下位にあると見なしていた十九世紀ヨーロッパのオリエンタリストの大半と違い、アーカートは明らかにイスラームの方が優位にあると考えていた。……
 『ニューヨーク・トリビューン』におけるマルクスパーマストン批判を読んで、アーカートマルクスを探し出し、個人的に会うためにシェフィールドからロンドンへやってきた。アーカートと彼の仲間たちが始めたミッドランズの工業地帯での反戦集会は、マルクスの辛辣な批評を称える決議文を本人に送ってきた。マルクスは、アーカートの新聞に時折記事を書き始めた。(p24)


 政治は奇妙な同衾者を仕立てるという格言を証明するものがあるとしたら、マルクスアーカートの協力関係はまさにそれにあたる。彼らが多くの点で異なっているのは明白であった。アーカートは男子普通選挙権の要求を拒否していたが、この要求を掲げていた、彼よりも近代的なイギリスの急進主義者であるチャーティストは、一八四〇年代以来、マルクスとイギリス政治を接続する重要な存在であった。一八四八年の革命はツァーリの間諜たちによって作られたのだというアーカートの信念は、――個人的な会談のなかでマルクスアーカートに強調していたように――自身が一八四八年革命の革命家であり、また激しい反ロシア主義者であったマルクスには始末に負えないものであった。マルクスエンゲルスアーカートと懇意になるのに気乗りしなかった。……
 躊躇を覚え、アーカートの奇妙さを認識していたのにもかかわらず、マルクスが彼と一緒に活動したのは、アーカートの見解の二つの核心的な部分に賛同していたためであった。それは、ロシア嫌悪と、パーマストン卿に対する根深い疑念であった。マルクスには、この信念に賛成するだけの自分なりの理由が明確にあった。それらを詳しく検討すれば、葛藤に満ちた反動の時代におけるマルクスの政治的方向性について考察する手がかりが得られる。(p25)


 オスマン帝国を守ることでロシアを妨害するというこの目標は、革命への共感に暗い影を投げかけるとは言え、マルクスにとって最良のものであった。アイトリアとイピロスのギリシャ系住民が一八五四年初頭にトルコの支配に対して蜂起すると、マルクスは反乱者たちを「山地帯の盗賊たち」と呼んで一蹴し、この反乱は「モスクワの密使たち」に導かれた「ロシアの策謀」の結果だと断じた。この発言の主こそは、共産主義者はあらゆる革命運動を支援すると宣言していた『共産党宣言』の著者なのであった。マルクスは、オスマン帝国の改革のために出されたイギリスの自由主義的な提案を歯牙にもかけなかった。キリスト教徒とムスリムの同権や、あるいは世俗国家の創設といった事柄が盛り込まれていたこの提案は、「完全な社会革命」という空想的で実行不可能な呼びかけだと切り捨てられた。かつての一八四八年の革命家の多くと同様に、マルクスはより現実的で権力志向的な立場をとるようになっていたが、こうした立場は、古株のパリ亡命者であった知り合いのアウグスト・ルートヴィヒ・フォン・ロハウによって「レアルポリティーク」と名づけられたものに他ならない。(p27)


 マルクスのロシアへの敵意は、イギリスの政治家と大陸からの政治亡命者の双方に幅広く見られた姿勢の一例であった。彼がアーカートと共有していた、パーマストン卿がツァーリの間諜だという信念は、それに比べてかなり特異なものであった。確かに、パーマストンはイギリス政治の老練な古狸であり、一八〇七年に最初に公職に就いてから、数十年にわたって身に余るほどの敵を作ってきた。意地の悪い批判によれば、例えば、彼が耳目を集めるような演説をすることができなかったのは、入れ歯が落ちるのを内心気にしていたからであった。敵対者たちの大半がパーマストンについてあれこれと言い立てたが、彼らとてパーマストンをイギリスに対する売国奴、ロシアの間諜とは言いそうもなかった。それどころか、パーマストン愛国者としての名声はあまねく響いており、「最もイギリス人らしい大臣」という異名が一八五〇年代に流布していた呼び方だったのである。この時代の特徴であるが、このような愛国的な立場は、大陸ヨーロッパにおける自由主義的、立憲主義的政府への支持と一体となっており、ロシアの力を制限せんとする方向に強く傾斜しがちであった。クリミア戦争中の全閣僚のなかで、パーマストンは誰よりも断固たる措置を主張しようとしていた人物であり、当のマルクスが望んでいたような、戦争の拡大すら考慮に入れていた。(p27)


 パーマストンのこうした立場を踏まえて、当時の人びとは、彼を売国奴とするデイヴィッド・アーカートの告発をくだらぬ陰謀論だと考えていた。アーカートの告発に対するマルクスの賛意は彼独自に育まれたものであり、やはり周囲にはまともに受け止められなかった。エンゲルスは慎重に沈黙を保ったが、マルクスの政治的同志の一人でプロイセンに留まり、ケルン共産主義者裁判で起訴されなかったフェルディナント・ラサールは疑念を表明した。パーマストンがロシアの間諜である証拠としてマルクスが挙げているものを読んだうえで、ラサールは自らの政治の師であるマルクスに、このホイッグの政治家がイギリスの主戦派の熱心な支持者であること、そしてマルクスが証明してみせた、一見して親ロシア的と思われるようなパーマストンの政策の大半が、実は反ロシア的立場を地でいったものであることを鋭く指摘した。ラサールは個人的な体験を引き合いに出しながら、さらにこう続ける。

 私が個人的に知る外交官たちで、一〇~一五年以上も彼[パーマストン]と親交があり、彼ら自身堕落しているために汚職に深くはまり込んでいる連中が、彼が賄賂を受け取っているとはちっとも疑っておらず、むしろ彼を真正の反ロシア主義者だと見なしていることに、重要性がないはずはありません。そして、確実に、この外交官たちはロシアの秘密に特別に通じた連中なのです。

 マルクスはいかにして、イギリスで最も激烈な反ロシア的政治家が実はロシアの間諜だなどという奇妙な結論に達したのであろうか。デイヴィッド・アーカートとは違い、マルクス陰謀理論にふけってはいなかったが、そうした考えを本気で支持してはいた。彼は確かに、青書や議会の議事録、『タイムズ』の最新の記事、大英博物館の読書室で見つけ出した古ぼけて黄ばんだ十八世紀の政治パンフレットを精読していた。マルクスをかくのごとき結論に導いたのは、社会階級と政治権力に関する自論と反動期の状況とに照らしつつ、この読書から得た解釈であった。(p28)


 もっと好意的な観察者ならば、こうした行動を政治的な柔軟性や妥協の能力を示す例と見たかもしれない。しかしマルクスにとって、それはまさしく「ウィッグ主義の特質をなす、あらゆる『欺瞞』」であった。ホイッグは外交においても、同様の偽善と原則の欠如を示していた。マルクスによると、

 実際には外国の勢力に屈しておいて、[パーマストンは]口先ではこれとたたかってみせる。……民主主義的な空文句と寡頭政治流の見解との折合いをつけさせ、平和を説教するブルジョアジー[の政策]を昔のイギリス貴族の尊大なことばでおおいかくし、了解がついているときに攻撃しているふうに見せかけ、裏切っているのに擁護しているふりをし、見せかけの敵をいたわり、表向きの同盟者が怒るようなことをやってのける。……圧制者のほうではいつも安心して彼の積極的な支持をあてにしていたのに、抑圧される側は、彼から弁舌さわやかな大見得をきまってふんだんに聞かされていたのである。

マルクスにとって、偽善、嘘、腐敗が、イギリスを統べる政治派閥の本質を作り上げていた――そして彼らは、ブルジョワ資本家の社会を統治する大貴族の土地所有者という立場を考えれば、必然的にそうならざるをえなかったのであった。マルクスは、このグループのリーダーこそ偽善的な売国奴であり、イギリスへの愛国心をもって称賛されているが実はツァーリからの指令を受け取っている人物だと考えていた。(p30)