人権の理念

『人権の歴史』ミシェリン・R・イシェイ

 冷戦の終焉は、自由主義が、人権に対する社会主義の挑戦に勝利したことを象徴すると、広く考えられている。しかし、自由主義に基づいて形成されたと今日考えられている人権の理念は、実際は、一九世紀の産業化の過程で生まれた社会主義の主張が根底にあることは、疑いない。(p38)


 イギリスは一八〇七年に植民地の奴隷貿易を廃止したが、それは初期のフランス革命から影響を受けて行われた。しかしながら北アメリカでは、アフリカの奴隷貿易に対する一七七五年のペインによる熱のこもった非難は拒否され、奴隷廃止論者の取り組みはほとんど成功していなかった。ジェファーソンは、私有地に奴隷を保持していたものの、ペインの不快感を共有しており、一七八二年に奴隷制の廃止とインディアン(アメリ先住民族)の尊重を訴えた。しかしながら、南部大農園の奴隷所有者の利益が、合衆国憲法によって容認されていた。第一条および四条は奴隷制を永続するものと規定し、こじつけの数理上のロジックによって黒人とムラートを五分の三人と数えることを命じていた。第一条はまた、アメリカ原住民を代表の割り当てから除外していた。(p174)


 人権という名の下で共産主義体制により行われた残虐行為を念頭に置きつつ、この章では、普通選挙権、社会正義および労働者の権利に対する闘い――一九六六年に国連で採択された二つの国際規約により導入された原則――は社会主義が起源であることを示しながら、初期の歴史的記録を修正することを目的とする。これは、すべての一九世紀の人権の使者が社会主義であるということを意味するものではない。たしかに、自決権や女性の権利、奴隷解放の非社会主義的な主張者もいる。しかし、自由主義者が自由への優先順位を保持している一方、社会主義者は、経済的な不平等は自由を実質的ではない概念にしてしまうという困難な可能性に集中する――それは、都市の労働者である中産階級に力強く共鳴する信念である。この意味では、社会主義者は、一九世紀の政治的な現実に、「自由、平等、博愛」という世界的な前提を実行することによって、啓蒙思想家の正当な継承者になったのである。(p189)