理性の国

『空想から科学へ マルクス・フォー・ビギナー②』エンゲルス

 フランスできたるべき革命のために思想上の準備をした偉大な人物たちは、彼ら自身がきわめて革命的に行動した。どんな種類のものでも、外的な権威というものを、彼らは認めなかった。宗教に、自然観に、社会に、国家制度に、すべてにすこしも容赦なく批判がくわえられた。いっさいのものが、理性の審判廷に立って、自分が存在してもよい根拠を立証するか、それができなければ、存在することを断念しなければならない、と彼らは考えた。悟性的思考が、なんでもはかれる尺度として、いっさいのものにあてがわれた。それは、ヘーゲルがいっているように、世界が逆立ちさせられた〔世界の上に思想をではなく、思想の上に世界をおいた〕時代であった。はじめには、人間の頭脳とその思考によって見いだされた諸命題とが、いっさいの人間の行為と社会的結合との基礎であると認められることを要求した、という意味で、だがもっとのちには、これらの命題に矛盾する現実が実際に根こそぎひっくりかえされた、というもっとすすんだ意味で、そうだったのである。すべてのこれまでの社会形態と国家形態、すべての古くからの伝統的観念が、非理性的なものだとしてごみ箱のなかに投げすてられた。世界は、これまでまったく偏見によってみちびかれてきたのであり、いっさいの過去は、ただあわれみとさげすみに値するだけであった。いまやようやく夜が明け、理性の国が出現した。これ以後は、迷信、不正、特権、圧制は、永遠の真理、永遠の正義、自然にもとづく平等、人手に渡すことのできない人権によって、とって代わられるべきだ、とされた。
 いまではわれわれは知っている。この理性の国とはブルジョアジーの国の理想化にほかならなかったのだということを。永遠の正義はブルジョア的司法として実現されたということを。平等はけっきょく法のもとでのブルジョア的平等になってしまったということを。(p32)