保守主義

『新マルクス学事典』的場昭弘 内田弘 石塚正英 柴田隆行 編 弘文堂

 19世紀前半ドイツにおいて、君主制原理、キリスト教国家、分邦主義、家父長的原理に基づく社会的下層の保護を根幹として、自由主義・民主主義勢力の台頭に対抗して現れた思想・運動。保守主義は地域的にはプロイセンで明確な政治勢力となったが、南ドイツ、西南ドイツでは社会運動として民衆の間に地歩を固めることはできず、立憲主義的協会やカトリック協会への参加という形をとった。
 1841年ヴィクトール・A・フーバーが著書『ドイツにおける保守的党派の基本、可能性、必要性』によって、保守主義のプログラムを提起。彼によると国民がその時代と永遠の神聖さのために必要とするすべての条件を、キリスト教会と君主制国家が提供するという。1848年の革命期、プロイセン国民議会での右派フラクションも、国王の絶対的拒否権を保持することに消極的であるなど、立憲主義の枠内にあったので、保守派の不満は高まった。自由主義者や民主主義者が協会組織を基礎に政治的自己実現を図ろうとするのに対応して、保守主義者も1848年5月以降、特に同年後半に協会設立に動き始めた。三月革命のいわゆる「三月要求」を認めながらも、一院制議会を拒否し二院制固持を主張する穏健な「立憲王制のための愛国協会」、ほかに共和制に強く反対する「立憲王制のためのプロイセン協会」、保守派の中央党組織とみなされた「国王と祖国のための協会」、あるいは農園所有者を主体として免税特権廃止反対を機に設立された政治性の薄い「土地所有の利益擁護とすべての国民階級の福祉促進のための協会」などがある。1848年の終わりには約2万人のメンバーがこれらの協会に組織され、1849年春には約3倍に膨れ上がっている。メンバー構成はプロイセン内でも地位的に差があるが、いずれも土地所有者、聖職者、軍人、官吏、上層市民が高い比率を占めるものの、小都市や農村などの地方協会では手工業親方層に加え、下層労働者も加わっている。
 保守派のための新聞としては、1848年6月16日より刊行されたエルンスト・フォン・ゲルラッハのイニシアティヴによる『新プロイセン新聞』、別名『十字新聞』があり、当初の3000部から1849年初めには5000部に発行部数をのばしている。
 保守主義は、19世紀前半における旧来の社会的諸関係解体に対する危機意識に対応し、特に1848/49年革命期に農業・小営業の伝統的関係が堅牢なプロイセンで社会運動として具体化しえた。保守協会は家父長的な形式による社会的貧困の解決をプログラムに組み込むことによって、大衆性をある程度獲得したのである。この時期、保守主義には貴族的要素に大衆的(中間身分・農民)要素が加わり、ビスマルク期はこの両者の均衡が保たれた。(p473)