F機関 序文

『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市

 序文  藤原岩市

 私は、陸軍少佐に昇進した直後の、昭和十六年九月、若冠三十三歳の凡根の身に、参謀総長松山元大将の特命を拝し、大東亜戦争勃発に備えるため、東南亜のマレイ・北スマトラ民族工作の任を帯び、バンコックに派遣された。この工作はマレイ工作と呼称された。与えられた部下は若い尉官五名、下士官一名、軍属五名の貧弱な陣容であった。もっとも私が、現地で志願を申し出た邦人を然るべく加えて、漸く三十名に増勢した。
 私共は、開戦直前、南方軍司令部に所属換えされた上、マレイ、シンガポール作戦を担当する第二十五軍に派遣され、山下奉文軍司令官の区処下に、同域各種民族工作に当ることとなった。同軍の作戦に寄与するためであった。しかし緒戦からの僥倖的成果を買われて、ビルマと北スマトラにも工作を拡大する任を追加され、工作担任域は東南亜の大部に拡がった。私は更に印度本土への伸長を画策した。
 私はインド独立連盟書記長の助言を得て、私の機関をF機関と命名した。フリーダム、フレンドシップと、藤原の頭文字を採ったものである。これは私が信念する日本思想戦の真骨頂は、建国の宏謨(こうぼ)八紘為宇の大理想に基き、白人のアジア隷属支配を断って「アジア人のアジア」「大東亜の共栄圏」を建設して「アジア人の心を一つに結ぶ」心願を表明するものであった。私は機関の信条を、陛下の大御心――四海同胞一如の御軫念を奉じ、敵味方を超越する至誠、信念、情義、情熱のヒューマニズムに徹し、道義の戦いを捨身窮行することを部下と誓い合った。私は日本軍の作戦を利する近視眼的謀略工作を戒めた。皇道に謀略なし、誠心あるのみを部下に強調した。インドをはじめ、東南亜諸民族の民族的悲願に発する彼等の自主自発的決起を促し、苟(いやしく)も日本側の恣意を強制することを厳に戒めた。かくてこそ、わが作戦に、占領地施策に真に寄与する成果を期待し得、大東亜戦争大義名分に添い得ると確信したからである。
 私のこの使命遂行には、数々の困難と苦渋を伴ったが、反面幾多の神の恩寵と僥倖に恵まれて予期せぬ成功を収め、Fの名は東南亜戦域を風靡するまでになった。この成功には作戦軍の精強と厳正な軍紀に裏打ちされたところが大きかった。
 私はこの使命遂行が法縁となり、戦中戦後の終始、東南亜なかんづく、インド、パキスタン、ネパール、マレイ、シンガポール、北スマトラに多数の志友、知己を得、彼等と生死、辛酸を偕にする宿命を背負うこととなった。これ等の諸民族は終戦後、その自由と独立の栄光を斗取振興し、日本との宿縁を深めることとなった。その余威は中東やアフリカ民族の解放に繋がり、数百年にわたる白人支配の世界史に決定的変革をもたらすこととなった。(p03)