戦争の正・不正は勝敗の外にある

『パール判事の日本無罪論』田中正明 小学館文庫

 戦争の勝敗は時の運で、正・不正は勝敗の外にあるはずだ。敗れたがゆえに罪悪なのではない。勝ったがゆえに正義なのでもない。 "法は一つ" である。この一つの法に照らして、これに沿うものは正義であり、これに背くものは不正である。すなわち戦争の正・不正は、すべて国際法学の理論の中にだけ存在しているはずである。
 初めは東京裁判も、国際法にのっとって裁くのだとしきりに宣伝していた。ところが、これまでの国際法には、戦争そのものを犯罪とするような規定はどこにもない。戦争そのものは法の領域外に置かれているのである。まして戦争を計画し、準備し、遂行したというかどで、個人が裁かれるというような規則はどこにも存在していない。ただ戦争遂行の方法だけに、法的規律が存在するのみである。そこで連合国は、東京裁判を行なうため、新たに「裁判所条例」(チャーター)なるものをつくって、戦争犯罪を定義し、これを裁く権能を付与し、これによって日本の指導者を裁いたのである。
 「法律のないところに犯罪はなく、法律のないところに刑罰はない」
 これは法治社会の初歩的な原則である。
 法律なくして人を裁き、法律なくして人を処罰することは、野蛮時代の私刑(リンチ)となんら変わるところがない。ところが東京裁判では、法律のないところに無理に「裁判所条例」(チャーター)という法律をつくり、法の不遡及の原則までも無視してこれを裁いたのである。勝った方が負けた方の大将をさらし首にし、負けた国の兵士や婦女子を奴隷にしたり掠奪した野蛮時代と本質的にどれだけの相違があるというのだろうか。パール博士のつぎのことばを想起しよう。
 「勝者によって今日与えられた犯罪の定義 ≪チャーター≫ に従って裁判を行なうことは、戦敗者を即時殺戮した者と、われわれの時代との間に横たわるところの数世紀の文明を抹殺するものである」
 「復讐の欲望を満たすために、たんに法律的な手続きを踏んだにすぎないというようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。こんな儀式化された復讐は、瞬時の満足感を得るだけのものであって、究極的には後悔をともなうことは必然である」…
 われわれは道義と法律を混同してはならない。極東国際軍事裁判は、文字どおり「裁判」なのである。裁判は法にもとづいて裁くのであって、感情や道義で裁くのではない。法のないところに裁判はあり得ない。…
 戦争に勝ったからといって、戦争の一切の責任を負けた国の指導者や国民に負わせ、自分たちに都合のいい、敗者だけを裁く急ごしらえの法律をつくり、これを昔にさかのぼって裁いたのが東京裁判である。しかも、国際軍事裁判という、もっともらしい体裁を整え、法律の名において復讐心の満足と、占領政策の効果をねらった欺瞞性は、なんとしても二十世紀における人類文明史の最大汚点といわなければならぬ。(p18)