宣言の価値

『パール判事の日本無罪論』田中正明 小学館文庫

 これに対して弁護人側は、ポツダム宣言が発せられたのは一九四五年の七月二十六日で、日本がこれを受諾し、ここに初めて東京裁判の法的根拠が成り立ったのだから、したがって、ポツダム宣言が発せられた七月二十六日現在において存在した戦争、すなわち、いわゆる太平洋戦争のみが本裁判所の審理目標たるべき戦争であるというのである。「われわれが大東亜戦争といい、諸君が太平洋戦争といわれた戦争の戦争犯罪人に限定すべきで、この戦争に関係がなく、すでに過去において終了している戦争を想い起こして、起訴するなど不可解千万である。その一つは遼寧吉林黒竜、熱河における日本政府の行動を、戦争犯罪としているが、これは満洲事変を布告なき戦争と見てのことだろうが、満洲事変の結果満洲国ができ、その満洲国は多数の国によって承認されている。ソ連も東支鉄道を満洲国に売却した以上は、満洲国を承認したものと解釈できる。さらにおどろくべきことは、一九三八年八月および一九三九年九月に、日ソ間において協定が成立したところの張鼓峰事件、ノモンハン事件まで起訴されている事実である。しかも日ソ間には一九四一年四月、中立条約が締約され、一九四五年七月二十六日(ポツダム宣言が発せられた日)には、なんら戦争状態は存在しなかったのである」(清瀬弁護人の弁論、「速記録」四号二〇ページ)
 パール博士は、この弁論を支持してつぎのごとく述べている。
 「裁判所の管轄権に関する第一の実質的な異議は、本裁判所が裁判することのできる犯罪は一九四五年九月二日の降伏によって終結をみた戦争の継続期間中、もしくはその戦争に関連して犯された犯罪に限るべきである、ということである。本官の判断では、この異議は容認されなければならない。戦争に敗れたからといって、その結果、戦敗国家およびその国民が、その存在の全期間を通じて行なわれた不法行為のすべてに対して、裁判にかけられる立場に置かれると考えるのは、不条理である。今次戦争を除いた、他の戦争の継続期間中、あるいはそれに関連して犯罪を犯したかもしれない人びとを起訴する権限を、連合軍最高司令官、もしくは連合国に付与している条項はポツダム宣言および降伏文書中には何もない」
 さらに博士は、いったいカイロ宣言ポツダム宣言などというようなものが、国際法律上どれだけの価値があるのか、という大きな疑問符を投げかけ、つぎのごとく述べている。
 「これらの両宣言は、たんに連合諸国の意向を表明しただけのことである。法律上、価値あるものではない。それ自体だけでは国際社会に法律上の権利を生じさせるものではない」
 「本官がこれらの宣言を通読したところでは、前記の諸事件に関して戦争犯罪人を裁判し、処罰するという、宣言国側の意図を表明したと同様の効果を有するものとは思われない。本官の判断では、たといこれらの宣言が、このような場合を含むものとして、読むことができると仮定しても、それはわれわれにとって大して助けにはならない。連合国はそのような意図をたんに宣言したからといって、それだけで右のような権限を法律上取得するものではない」
 「ポツダム宣言中に引用されたカイロ宣言は、むしろ検察側の主張と背馳するものである。……本官はこれらの過去の諸事件に関連して、個々の戦争犯罪人に対して、なにか裁判を行なうとか、もしくは処罰をするというようなことを示唆するものを、その宣言のどこにも発見することができない。さらに、かような事項にまで管轄の範囲を拡大する権能をわれわれに付与する条項は、本裁判所条例の中にも全然発見し得ないのである」
 「したがって本官の意見としては一九四五年九月二日の降伏によって終わりを告げた戦争(大東亜戦争)以外の紛争、敵対行為、事変もしくは戦争の継続期間中、またはそれに関連して犯されたと称する犯罪は、本裁判所の管轄の範囲外にあると考えるのである」
 まことに条理整然たるものである。
 戦勝国がたとえどのような宣言を発しようとも、宣言は宣言であって、条約でもなければ、法的拘束力をもつ法律でも規律でもない。ポツダム宣言が日本側において受諾され、調印されて、初めて法的拘束力が生じるのである。日本が調印したそのポツダム宣言は、明らかに、第二次大戦中の戦争犯罪のみを規定しているのである。検察側は、ポツダム宣言カイロ宣言を受け継いでいるというが、カイロ宣言のどこにも戦犯に関した文字は見当たらないのである。
 法律は制定以前の事実に対してさかのぼって適用することは「事後法禁止の原則」として固く禁ぜられている。法はさかのぼらず、ということは法治国家における根本原則である。アメリカ自身もこれを憲法で禁じており、およそ文明国においては、これが法治の鉄則となっている。なぜなら、事後法は法にあらずして、私刑(リンチ)であるからだ。
 ところが、東京裁判はあえてこれを侵し、遠く満洲事変にまでさかのぼってこれを裁いているのである。裁判劈頭、弁護人側は、法の遡及こそ、文明の名に恥ずべきだといって、激しく抗議した。ウエッブ裁判長は休廷を命じて、裁判官の意見調整を行なったが、ついに結論を得ないままに裁判は続行された。東京裁判を仕組んだ彼らの初めからのねらいは、実はここにあったのであろうが、まことに法と文明を冒瀆した乱暴な話というほかはない。(p64)