法の支配=帝国主義

『人と思想143 ラス=カサス』染田秀藤

 近代ヨーロッパにおける最初の帝国主義理論とも称されるセプールベダの考えは世俗当局や植民者の立場を擁護する強力な理論的支柱になったが、すでに国王批判を辞さないほど、王室の進める対インディアス政策に危機感を募らせたラス=カサスには、とうてい容認できるものではなかった。(p125)

インディオに対する征服戦争
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リヴァイアサン――戦争について
http://nyatarochan.hatenablog.com/entry/2019/06/28/112714

『世界の名著23 ホッブズ

戦争状態においては何事も不正ではない

 このような各人の各人にたいする戦争からは、何事も不正ではないということが当然帰結される。正邪とか正義不正義の観念はそこには存在しない。共通の権力が存在しないところに法はなく、法が存在しないところには不正はない。力と欺瞞は戦争における二つの主要な美徳である。正義と不正義とは肉体と精神のいずれの機能でもない。もしもそうであれば、それらは感覚や情念と同じように世界にただひとりでいる人間のなかにも存在するであろう。それらは孤独のなかではなく社会のなかにある人間にかんする性質である。(p158)


しかし、戦争において罪のない者に加えられる損傷は自然法に反していない

 しかし、罪のない者であってもそれが国民でないばあいには、どのようなこらしめを課そうとも、それがコモンウェルスの利益となり、またこれまでに結ばれたいかなる契約も犯していなければ、自然法の侵犯ではない。というのは、国民でない者は、敵であるか、さもなくばすでに契約によって国民であることをやめた者かのいずれかであるからである。自分たちにたいして害をなしうるとコモンウェルスが判断する敵にたいしては、戦争をしかけても自然の本来の権利によって合法的である。このばあいには剣は正邪の判別をしない。また、勝利者が過去に照らして罪のあるなしを区別するものでもなく、自国の国民の利益に役だつこと以外は、ほかに慈恵の念をいだく必要のない戦争である。(p325)


また反逆を宣言した者にたいするばあいも自然法に反していない

 国民のうちには、すでに確立されたコモンウェルスの権威を故意に否認する者がある。このような者にたいするコモンウェルスの復讐は、その父親たちだけではなく、まだこの世には存在せず、したがってその行為についてはなんら罪のない、その後の三代、四代にもわたって行なわれても合法的であり、このばあいの復讐の根拠はまさにいま述べた点にある。この違反の本質は服従契約の放棄にあり、それは戦争状態への復帰であり、ふつう反乱の名で呼ばれる。このような犯罪を行なったものは、国民としてではなく敵としてあつかわれる。「反乱」は、戦争の再開にほかならないからである。(p325)