女性に優しいナチス

ナチスの発明』武田知弘

 女性に優しいナチス

 ナチスというと、男尊女卑の政策をとっていたと思われることも多いが、それは誤りだ。
 むしろナチスは女性に非常に優しい政府だったのである。
 ワイマール憲法というのは、世界に先駆けて女性の投票権を認めたものである。したがって、政権をとるためには女性の有権者の支持が不可欠になる。そのために、ナチスは女性に配慮した政策を打ち出しており、女性からの人気は非常に高かった。
 女性の労働問題でも、ナチスは非常に配慮の行き届いた政策を行なっている。
 女性や未成年者、妊婦に対して、手厚い保護政策を実施しているのだ。
 ナチスの行なった施策は次の通りである。

 1938年、家庭や農林業以外での子供の労働を禁止
 1940年、18歳以下の子供がアスベストを扱う仕事を禁止
 1941年、18歳以下の男子、20歳以下の女子、妊婦、授乳期の母親が芳香族ニトロ化合物、グリコニトレートを扱う仕事を禁止。全労働者の毎月の検診義務
 1942年、妊婦が危険な仕事(5キロ以上の荷物運搬、長時間の立ち仕事など)につくことの禁止
 1943年、女性の路面電車乗務は、身長160センチ以上、18歳から40歳までとする

 発足当時のナチス政権は、女性を家庭に戻そうという政策をとっていた。
 当時のドイツは深刻な失業問題を抱えていた。その頃、多くの男性が失業していたので、女性よりも男性の就職を優先させたかったのである。当時は、女性の賃金の方が安かったので企業は女性を雇うケースが多かったが、これをやめさせ、なるべく男性を雇うよう働きかけたのだ。しかしある時期からヒトラーは、その政策を転換させる。女性の社会進出を支援するようになるのだ。
 ヒトラーはそれについて、次のように語った。
 「我が党は、女性を子づくりの道具や遊び相手としか考えていないのではないかといわれてきた。それは違う。私は青少年の訓練など大切な仕事で女性を重用してきた」
 実際に、ナチスは「女性でも能力のある人は積極的に起用する」をモットーにしていた。その結果、時代に先駆けて活躍した女性を数多く輩出している。
 女性アナウンサーを世界で最初にとりいれたのもナチスである。またナチス党大会でヘリコプターのデモ飛行をしたハンナ・ライチュは世界で初めての女性海軍大尉となった。歴史に残るベルリン・オリンピック記録映画「民族の祭典」は女性監督レニ・リーフェンシュタールの手による。これまで男性の働く場所とされていた分野で、女性の活躍したケースが実に多いのである。
 またナチスは「女性の本性に合った仕事を」という政策もとった。適正がある職業には、女性を積極的に採用したのだ。
 まず福祉職には多くの女性が採用された。企業にも福祉員として女性を配置した。彼女たちは、会社内の衛生管理や環境美化といった仕事にとどまらず、職場の人間関係の調整や従業員の生活相談まで行なっていた。今で言うところの企業カウンセラーのようなものである。(p136)