自由主義だけでは民主主義にならない

『近代民主主義とその展望』福田歓一

 たとえば西側の文献では、ジョン・ロックという人が民主主義の代表的な理論家としてよくもち出されていますけれども、あとでも申しますように、もちろんロック本人は、民主主義を唱えようなどとは夢にも思っていなかった。それどころか、ジョン・ロックは、その時代の民主主義の運動に対してはきわめて批判的であります。十九世紀になってさえ、リンカーンのゲッティスバーグ演説の「人民の、人民による、人民のための統治」という文句は、民主主義の説明としていちばん頻繁に使われるにもかかわらず、実は民主主義という言葉はそのどこにも出てこないのであります。ましてヨーロッパではその時代に、たとえば平民政治 popular government という言葉は使いましても、民主主義という言葉は、ちゃんとした社会の人間には依然としてタブーであった。ところが冷戦の中では、そういう歴史は一切無視されるようになる。それというのも民主主義という言葉を、すでに実現されたアメリカの現実、あるいはソ連の現実に還元してしまって、それを過去にまで投影してイメージを作るからであります。(p14)


立憲主義日本国憲法 第2版』高橋和之

 近代自然権思想からすれば、真の人権=自然権自由権であり、参政権社会権は国家を前提とする限りにおいて自然権とは言えなかった。しかし、通常、我々は参政権社会権も人権に含めて考えている。日本国憲法が「この憲法が国民に保障する基本的人権」(11条)と表現するとき、この基本的人権には参政権社会権も含まれると解されている。ということは、今日では、人権の理解に、近代的な自然権の論理(自然状態・社会契約論)はもはやそのままの形では使用されていないということである。
 今日では、人権の根拠は「個人の尊厳」という思想に求められている。それは、社会あるいは国家という人間集団を構成する原理として、個人に価値の根源を置き、集団(全体)を個人(部分)の福祉を実現するための手段とみる個人主義の思想である。個人主義に対立するのは、価値の根源を集団に置き、個人は集団の一部として、集団に貢献する限りにおいてしか価値をもたないとする全体主義であるが、「個人の尊厳」を表明した日本国憲法(24条参照)は、全体主義を否定し個人主義の立場に立つことを宣言したのである。(p70)