日本の司法は本当に消極か?

『いま、憲法は「時代遅れ」か』樋口陽一

 憲法に直接にかかわる点から言えば、憲法七六条三項による裁判官の職権の独立と八〇条による身分保障、そして憲法八一条の定める違憲審査の運用の問題があります。まず八一条の問題ですが、このことについては、憲法を基準として、議会のつくった法律の憲法適合性いかんを調べ、場合によっては違憲したがって無効として扱うという場面で、日本の司法権は消極的であるという印象的なとらえ方が、一般化しています。
 しかし、そのようなとらえ方は、実は必ずしも正確でありません。「司法消極主義」という言葉自身、その明確な定義がないままに使われることが多かったからです。憲法違反、したがって無効、という判断をするについて、最上級審である最高裁判所に関する限り、確かに消極的でした。しかし、その最高裁は、「憲法違反ではないか」と争われた多くの法律を、憲法に適合する、合憲だと判断してきたのですから、およそ判断すること自体に消極的だったわけではありません。(p122)


 そのほか、法律論的に興味のあるいろいろな例が出てきますが、それら多くの事件で、積極的に合憲という判断を示してきました。事実に即したそのような認識をあいまいにさせる傾向を、メディアが好んで使ってきた司法消極主義という言葉ははらんでいると思います。その点をはっきりさせた上でこの制度をどう運用するように考えるか、それは後ほどまた触れましょう。ここでは今の制度に対する根本的な変更を――憲法改正を必要とするというところまで踏み込むものを含めて――推奨する見解について、一言述べておきます。
 現行制度のもとでの運用を、不明確な定義のままに司法消極主義に傾きすぎてきたと理解すると、憲法判断をする機会を多くすればするほどよい、という考えになりやすい。民刑事事件であれ行政事件であれ、具体的な訴訟に即してしか適用法令の憲法適合性を判断できない、という今の制度に変えて――あるいはそれに加えて――違憲かどうかの論点だけを抽象的に争える制度を導入しよう、という主張です。しかし、そうすることによって、違憲ではないかと争われた法令を合憲とする判断を沢山誘い出し、結局、国会や内閣の憲法運用を抑制する裁判所の役割を弱めてしまう可能性はないのか。そこまで十分に考えを及ぼさなくてはなりません。(p124)