ニャー太郎のブログ

休止中。2020年11月13日。

都市鎌倉

『中世の罪と罰網野善彦

 都市鎌倉  石井進

 現代の都市が多くの問題をはらみ、新たな形での犯罪を生み出していることは、しばしば指摘されるところである。中世の鎌倉ではどうであったか。…
 さてこの鎌倉に対して幕府の出した法令の一部が、幸いにも今日までつたわっていて、文献史料の乏しい都市鎌倉の研究に大きな光を投げかけてくれる。それは主として十三世紀の半ば、北条氏執権政治の盛期のものだが、以下、若干を紹介しよう。
 「鎌倉中で興に乗ること、殿上人・僧侶・六十以上の御家人以外はすべて禁止」、「凡下の輩(平民)たち、道々の工や商人らが騎馬に乗ることは一切禁止」、「袈裟で頭を包んだままの僧徒の横行も禁止」、「編笠をかぶって鎌倉中を通行することもかたく禁断」など通行の手段や服装の規制にはじまり、「女性を集めては濫行をし、魚や鳥を食い、酒宴を好むような念仏者たちの家は取りこわし、身柄は追放せよ」という宗教的禁圧令に及ぶ。
 「盗人」・「悪党」・「辻捕」(辻々で女性を掠奪する行為)とならべて「旅人」もまた厳重に警戒すべき対象に数えあげられている。これらの犯罪の予防のため、市内を分けた行政単位である保ごとに夜廻りを励行すべきことも何度か命令され、「博奕の禁止」も重要な禁令とされている。(p60)


 道路はまた当然ながら人々の集う場、商業・交易の行われる所であった。「辻々の『盲法師』や『辻相撲』が禁止されるばかりではない。家々をまわり歩く行商や、道筋に立って売買をする「立商人」も制止するなど、この方面での幕府の統制はきびしい。その中で誘拐や人身売買が厳重に禁止され、人商人は名簿を注申させて鎌倉から追放と定められていた。鎌倉の所々にあった小町屋や売買の施設についても、建長三年(一二五一)には大町・小町・米町・亀谷辻・和賀江・大倉辻・化粧坂山上の七ヵ所だけに限定された。これらの市場以外で商人から直接に安く買いたたく「迎買」や、市価より安い値で強引に買い取る「押買」もきびしく取りしまられたが、一方では商人の暴利を規制する物価統制令、高利貸の利息の制限令も出されている。街頭や商業・金融の活動に対する幕府の統制意欲には、なみなみならぬ強さが感じられるのである。(p61)