ニャー太郎のブログ

休止中。2020年11月13日。

慰安婦問題の決算

慰安婦問題の決算』秦郁彦

 日本政府は1965年の日韓基本条約で請求権問題は「完全かつ最終的に」解決しているとする立場から、半官半民のアジア女性基金を通じ1人500万円(うち300万は政府支出)の「償い金」に首相のお詫び文を添えて60人の元慰安婦へ支給している。挺対協は支配下慰安婦たちへ「受け取るな」と指示したが、それに従った女性(ハルモニ)の数ははっきりしない。
 いずれにせよ登録ずみの慰安婦238人のうち、現存者は約50人にすぎず、80代に達した彼女たちは韓国政府から約350万円の一時金、毎月の生活補助金、無料医療、各方面からの寄付など物質的には十分すぎるほどの厚遇を受けている。日本からの「償い金」を二重支給された60人は、なおさらである。(p62)


 122人の米軍慰安婦

 122人の元米軍慰安婦たちが、強制連行、強制売春させられたとして、謝罪と賠償を求め韓国政府を提訴したのは2014年6月25日である。朴正煕大統領の直轄事業だったことを示す大統領の署名文書も訴状に添えられていた。
 1991年に日本軍慰安婦第一号の金学順らが東京地裁へ提訴した時の原告数は3人(のち3人を追加)、その後の訴訟でも数人にすぎなかったから、122人の原告団は類例を見ない規模である。ニュース価値は絶大と思われるのに、韓国の三大新聞は、記者会見もあったのに1行も報道しなかった。その後も事情は変わらない。政府が報道禁止を命じた形跡はないので、暗黙の自主規制としか考えられない。(p75)


 欧米メディアも近づけず、情報不足のなかで加藤達也(産経新聞ソウル支局長)が月刊『正論』の2014年9月号(8月1日発売)に「性搾取大国韓国の不都合なる真実」の標題で公表したレポートは、久しく韓国内でくすぶっていたこの問題の全体像をさかのぼって追及する力作であった。
 加藤は政府が沈黙している理由について、ある国会議員スタッフから「この問題を突き詰めると朴正煕大統領(1962~79年在任)の責任論につながり、ひいては娘である朴槿恵大統領の政権の正統性にもかかわる問題なのです。騒げば、韓国社会がかつて様々な事情から売春せざるを得なかった女性に米軍兵士の性欲処理を押しつけて、切り捨てていたという事実が表面化してしまうからだ」との感想を引きだした。
 さらに加藤は、歴代政権が「米軍慰安婦」の役割を知っていたし、「ドルを稼ぐ英雄」としておだててもいること、この問題がすでに2012年10月、野党議員によって提起され、翌年10月に、やはり国会の論戦で野党議員が大統領記録館から入手した「基地村浄化対策」(1977年5月2日付)という文書を入手したこと、それには朴大統領(父)が直筆で署名していることを示して、追及した事実も明らかにした。
 この文書には「米軍慰安婦」が居住していた基地村が62ヵ所あり、売春していた女性が9935人いたことが記載され、122人の原告団はそれを訴状に添付していた。決め手となる証拠で、日本軍慰安婦問題の解決を最優先課題にかかげていた朴槿恵大統領が受けた衝撃は計り知れない。
 加藤支局長は2014年8月5日に告発され、7日に出国禁止の処分を受け、10月8日に在宅起訴された。表面はフェリー沈没事故の当日における大統領の動静が不明だったことに関し、韓国メディアに流れていた噂を8月3日の産経ウェブサイトに紹介したのが理由とされた。だが筆者はタイミングから見て、米軍慰安婦問題についての継続取材を阻止するのが狙いだったのではないかと推測する。(p77)


 第一回公判の状況に関しても、「聯合通信」(12月22日)と米軍の新聞(12月26日)は原告団を支援する4団体が「基地村では現在も、フィリピン人やロシア人などの外国人女性が人身売買されている。実態を解明せよ」と記者会見で述べたこと、政府側弁護人が「国家賠償が成りたつには、122人が具体的にどんな被害を受けたか、1人ずつ立証する必要がある」という主旨の答弁書を提出したと報じた程度で終わる。
 当初は裁判所が門前払いにするのではないかとの観測もあったが、かろうじて裁判が成立したのは、支援4団体(韓国女性団体連合、挺対協基地村女性人権連帯等)が強力な圧力団体のため、無視しにくいとの判断かららしい。
 日本軍慰安婦問題の急先鋒でありつづけた挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)がなぜ米軍や韓国軍慰安婦問題にも介入するのか、理解しかねる人もいよう。だが韓国の治安当局は以前から、挺対協は北朝鮮の利益を代弁する「親北団体」とみなし、監視対象にしてきた。(p78)


 だが122人の原告団も米軍の責任は問うてないし、原告の女性たちも多くが「カネを払ってくれるお客さん」というイメージを抱いているようだ。その分だけ怒りの矛先は女たちから「米軍相手の大型ポン引き(big pimp)」とののしられた韓国政府へ向けられた。とくに性病にかかった基地村の洋公主たちがモンキーハウスと呼ばれた隔離施設に監禁され、強制治療が終わると無菌を示すタグを付けて釈放される屈辱感が影響したらしい。(p80)


 いずれにせよ「1980年代まで慰安婦は韓国の売春婦を指し、日本軍慰安婦は問題にされなかった」と崔碩栄は言う。ましてや両者を比較する視点はなかった。表1は新聞記事に登場する頻度を比較したもので、1980年代の9件(日本軍用)が1990年代の前半から616件へ急上昇していることがわかる。
 米軍(国連軍)用慰安婦は全期間を通じ記事化された例は稀で、「誰にも知られたくないが、誰でも知っている」(李定思)秘密だったことを示唆している。
 だが挺対協などエリート女性が集まる女性運動家たちは、旧日本軍用と米軍用慰安婦の類似性は否定する立場をとった。洋公主たちは「韓国社会で下層のなかでも下層の屑」で、純血を失った売春婦として軽侮と嫌悪の的とされていた。
 日本人の間では芸妓や売春婦、元慰安婦に対する社会的偏見ははるかに薄く、売春防止法で離職した女性たちの更生や転職が容易だったのとは対照的である。(p82)