訴状と証言集の記録

『「植民地朝鮮」の研究』杉本幹夫

 それでは彼女らの証言はどのようなものであったか。韓国政府から渡された、韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編『証言集 強制連行で連れて行かれた朝鮮人慰安婦達』(一九九三年発行)には四〇人の聞き取り調査がなされていたが、その内二一人が前後でつじつまが合わなかったり、混乱していたりで、証言として収録がなされなかった。残りの一九人の内一五人が貧しさによる人身売買のケースであった。
 残ったのは裁判の原告である金学順と文玉珠である。この二人の訴状とこの証言集の記録は全く異なっている。
 金学順は訴状では「貧しさのため四〇円で朝鮮人養父にキーセンとして売られ、踊りなどを仕込まれた後、養父に連れられ、北支のカッカ県鉄壁鎮に行った」としているのに対し、証言集では「養父に連れられて北京に行き、市内の食堂で昼食を取っていた時、日本軍将校に襲われ、連行された」としている。
 文玉珠は訴状では「女中をしている時、宋という朝鮮人から『食堂で働かないか』と誘われ、ビルマに渡って慰安婦にさせられた」と書いているが、証言集では「友達の所へ遊びに行った帰り、日本の軍服を着て、長い刀を差した男に拉致され、約一年、中国東北の逃安城慰安婦をさせられた。その後帰国し、一年ほど女中をしていた時、友人から『お金を沢山くれる食堂があるので一緒に行かない?』と誘われビルマに行った」と書いている。ところが九六年梨の木社から出版された『ビルマ戦線楯師団? 慰安婦だった私』で「キーセン出身だった」と書いているのである。
 要するに誰一人強制連行されたことを立証できた人はいなかったのである。

 更に文玉珠は戦前の日本円で二万六〇〇〇円の多額の貯金を持っていたことが明らかになった。一九九二年五月一二日の毎日新聞に、文玉珠の預金通帳についての記事が載っている。その通帳によれば、一九四三年から一九四五年の間に一二回振り込みがあり、その預金残高は二万六一四五円に上っている。これは今の金額にすると数千万円に相当する。当時日本軍の陸軍大将の年俸は六六〇〇円だった。従って文玉珠は陸軍大将の約二倍稼いでいたことになる。
 また元海軍中佐重村実は彼女らの前借金が四〇〇〇円から五〇〇〇円であったと言っている。そして彼女らはこの前借金を三ヵ月から半年で返し、平均的な貯蓄額は五~六〇〇〇円から一万円持っていたと言っている。その中には三万円も持っている人も居て、皆驚いていた。(p114)