山東問題について

回顧録(下)』牧野伸顕 中公文庫

 旧ドイツ領の処分問題が議題に上った時、日本にとって重大な問題がこれに関聯したのである。休戦条約の十四ヵ条中には、大体土地のやり取りはしないという原則が決って居った。それでドイツの旧植民地をどうするかというと、これを聯合国が一旦みな引取って、その上で処分については聯合の五大国だけで宜しく適当に図ろう、というわけになった。彼の青島も他の植民地並みに、聯合国側に一旦引取ってその始末をしようとの意見がよほど捗ってきたが、日本にして見ると山東省には権益があり、多大の犠牲を払って現に占領しており、山東鉄道もあるのだから、聯合国側にやることはどうしても事情が許さない。日本は山東を植民地扱いにすることには同意が出来ない。直接支那に交渉の上返還するとの態度を執った。
 ところで当時支那側は、対日問題につき盛んに運動を継続し、アメリカなどの輿論を煽動し日本の悪評を流布し、相当効果を収めたのである。その最も努めたのは山東問題であって、日本が支那に二十一ヵ条を押しつけ、不可抗力で余儀なく調印させられたのである。支那はどこまでも二十一ヵ条を承認しないのだという態度を執って、盛んに運動に耽ったが、日本は前述のような主張で、直接に返すという態度を徹頭徹尾固執して臨んだ。アメリカの輿論支那に同情して、二十一ヵ条は日本が実力で押しつけたという意見が大分入っている。もし日本が直接返すことになると、何か政治的の行懸りを作って、積極的に更に新事態を醸すであろうとの疑いを支那側から吹込んだものと思うが、とにかくそういう熱気が大分アメリカ側を支配して居った。アメリカ側ばかりではない、他にもそういう運動が入ったろうと推測された。
 それで一番悩んだのはウィルソンである。アメリカの輿論支那に同情しているし、アメリカ全権の中にも支那側に大分行懸りのある人があった。しかも日本は到底、聯合国側に渡すことには肯んじない、また二十一ヵ条は合法的に出来たものであるとの態度は鞏固である。彼はその中間に立って、非常に苦しんだのである。それで吾々は、日本は政治的に利用しようとの思惑あるわけではない、得ている権益を確保し、将来の安全を図る目的に外ならぬ、山東鉄道もあるから、その保護もしなくてはならんという態度をはっきり声言し、また一方において二十一ヵ条の成立事情を説明する必要を認め、或日西園寺さんと同道してクレマンソウを訪問し、支那は二十一ヵ条を認めずと言うが、実際条約の規定に基づき既に内金を請取っている。即ち条約を認めている証拠である。これは鉄道借款の内金であって、この物質的の取引は動かすべからざる事実であることを指摘してクレマンソウの了解を求めたところ、呑込みの早い彼は「それは初耳だ、それをウィルソン、ロイド・ジョージに話したか」「いやあなたがとにかく議長でもあり、誤解が伝わっているようであるからまず最初にお話する」と述べたところ「それなら早く行って話した方が宜かろう。参考になるから」ということであった。
 イギリスは同盟国であったからでもあるが、大体英仏は日本に大変同情があり、今度の戦争では日本に負う所もありとなし、山東問題について尽力するところがあった。それについてはイギリスの全権バルフォアがよく納得して斡旋するところあり、山東問題の取極めの覚書もこの人が起案して、ウィルソンも終に折合ってようやく落ちついた。
 ところが問題はこれからで、支那側がどうしてもそのままでは条約に調印しない。支那本国からの訓令が来て、国論が喧しいから調印は出来ぬと騒ぎ出して、得意の猛運動を開始した。それで一番困ったのはウィルソンのようであった。既にアメリカの国論が支那側に傾いて、大統領といえども国論を無視するわけに行かず、そうかと言うて日本の態度も気遣われ、成行きによっては媾和会議の進行に非常な支障を見るようになってはと、これも困ったわけである。これはウィルソンがその間に「自分もアメリカの輿論を控えているので困っている。その事情も察して貰いたい」と洩らしていたことでもわかる。また「ウィルソン伝」の著者ベーカーがその伝記中に、或日、ウィルソンが非常な心配顔をしているので、何か御心配ですかと尋ねたら、山東問題で困っていると言って、憂色を帯びておられたとも書いてある。
 とにかく媾和会議中で最も困った問題の一つであったらしい。しかしこれを纏めないと日本が旗を巻いて引揚げるかも知れん(イタリーは引揚げの後であった)との心配があったと察せられた。アメリカの全権の中にも種々意見があったようだが、大局から見て世界の平和のため協力して行くには、亜細亜では日本を除外してはとてもいかんというのがウィルソンの所信であったと思う。それに日本は経済的の要求に止めている、二十一ヵ条は既に実行されているということを詳しく聞かされたために、日本の主張を容れなければとても纏まりが附かんと諦めたものと思う。
 ウィルソンは真に永久平和を企図し、わざわざ自分でパリに出陣したのも、その手段たる国際聯盟の成立に尽力せんがためであったと信ずる。その目的達成のためには大抵のことは我慢したと思う。山東問題に対する最後の態度も、この見地より考定したと察しられた。それで最高会議に関する限り落着を見たのであるが、支那側の運動はなかなか止まない。ますます懸命の姿で調印を拒むと言ってやまず、已むなくば山東問題の条項だけを保留してくれれば調印するという次第であった。
 この保留ということは一部には議題にせらるる可能性があると考えたので、或日ウィルソン邸に四全権会合の折適当の機会と思い、クレマンソウに、保留問題が起っているようであるが、早く決定しておくがよかろう。もし支那に保留を許すと、条約に不平を持つものは独り支那ばかりではない、国境問題には皆不平を持っている、日本も、国際聯盟或は労働条約等の問題については、保留の余地があるとすれば保留したいものもあるかも知れん、もしこの条約の成立を全うしようというならば、保留ということは一切許さんことにしないといかんではないか、と話したところ、それはそうだと合点した。日本に取っては、山東問題が現実の問題だから保留の許否には最も関心するところであったが、幸いクレマンソウはすぐにウィルソンに相談し、ウィルソンもそれはそうだと言って同意を表したので、保留は原則として許さんことに決定を見たので大いに安心したのである。
 やがて最終の全権会議がウィルソン邸で開かれた時、正式に保留を許さんことも話し合ったが、その席にフランスの外務大臣パッションも居った。そうすると、ちょっと中座した書記官長のドゥタスタが慌しく入って来て、只今支那の全権がこの書面を差上げてくれというので持って来ましたと渡そうとした。クレマンソウは一瞥して「何か、保留問題じゃないか、支那の保留問題は一切取合うなとあれほど言ったのに」と言うや否や、その書面を見もせず憤然床に投げ「こんなものは持って帰れ」と言い捨ててしまった。ドゥタスタは支那全権があまり哀願するのでと言いわけをし、パッションはまた取合わぬようにとの御命令は伝えたのですけれども、と附け加えて居った。かくてドゥタスタはしおしお持って下ってしまった。その日はそれで済んだ。そうすると二、三日前からアメリカの全権ランシング(国務卿)がしきりに私に会いたいと言っていたので面会したところ、どうも支那の全権は訓令もあり国論も激昂しているので、山東問題を保留せん以上は調印は出来ないようだ、日支間の親善を図るため、日本は優勢であるから大度を示し、一歩譲って支那の主張を聞いてやって貰いたいとの懇談であった。
 ところが前述の通り保留を許さずと決定した後である。大統領は、保留は許さずと最高会議で已に意志を表明しているのに、国務卿はこれを知らないで問題を持出して来たのか、或は日本さえ承知すればどうかなると考えたのか、不思議に思った。私はこう言った。
 「支那側から国論がやかましいので調印が出来ぬと言われるが、日本の国論は一層に強硬である。日本は現に青島に兵を出している。ドイツから取上げてそれを支那に返すのだから、支那を援助するわけである。これを今保留を許すことは不自然で意味を為さぬ。支那の国論がやかましいと言われるが、日本の国論は不動のものであるから折角であるが御同意は出来ん」
 国務卿は非常に困った様子であったが、そのまま別れてしまった。
 それから数日の後、いよいよヴェルサイユ宮で調印の日が来た。ドイツ側も来た。式場の一隅に西園寺さんと私と立っていると、クレマンソウが忙しい中をわざわざやって来て、支那側はいよいよ調印しないそうだ、しないならしないでよろしい、我不関焉と言う風でさっさと外へ行ってしまった。彼はそれだけのことをわざわざ言いに来たのであった。
 支那はとうとう調印しなかった。山東問題は実際、形式に属するようであるが会議中起った大波瀾の一つであった。(p195)