もはや常識! 創氏改名の嘘

嫌韓道』山野車輪

 もはや常識! 創氏改名の嘘

 知り合いの編集者がオーストラリアに一ヵ月くらい滞在していたとき、大勢の現地在住の韓国人と知り合いになって、その多くが「ケビン」とか「マイケル」とか「ジェニファー」といった現地の白人風の名前に「創氏改名」していたことが非常に印象的だったそうです。
 現在の韓国人の名前は中国風に統一されていますが、これは高麗時代に宗主国である中国(宋)に事大して、中国風の名前に「創氏改名」したからです。『古事記』『日本書紀』などに出てくる古代の朝鮮人の名前は、渡来人の阿直岐(アジキ)、百済の将軍の階伯(ケベク)など、現在の韓国人の名前とは異なっています。
 一三世紀にモンゴル人からなる元が台頭してくると、モンゴル風の名前に国王自らが率先して「創氏改名」し、元が倒れて韓民族の明が建国されると、再び中国風の名前に「創氏改名」するという無節操なことをやっています。その時代の強者の名前に次々と「創氏改名」してきた朝鮮民族が、日本統治時代に日本風の名前を欲しがらないわけがないのです。
 朝鮮総督府は一九一一年に総督府令第一二四号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」を出して、戸籍や出生で「内地人ニ紛ハシキ姓名」の届出に厳しい制限をつけています。新しいご主人様である日本人の名前に「創氏改名」する朝鮮人が、併合から一年も経たないうちに早くも殺到していたのです。
 また満洲に出稼ぎに行っている朝鮮人から「朝鮮人の名前だと中国人から差別されるので、日本名に改名したい」という請願が数多く寄せられていました。これに応える形で一九四〇年に朝鮮総督府は朝鮮民事令を改正し、日本名に改名することが許されるようになったのです。
 「日帝七奪」の「名前」、いわゆる「創氏改名」は、朝鮮人の要望によって実現したものであり、当時の朝鮮人たちは先を争って日本名に改名して日本人になれたことを喜んでいたわけです。
 しかしこれは現在の韓国人にとっては認めたくない過去の汚点であり、それで彼らは「創氏改名を強制された」と歴史を捏造して日本を非難しているのです。(p94)


『学校で習わない日本の近代史』横内則之

 もう一つは、「創氏改名」で、「日本名を押しつけた」と言われるが、併合時は日本名を使うことが横行したので、むしろ朝鮮総督府は日本名の使用を禁止していた。この「創氏改名」を施行したのは、ずっと後の一九三九年(昭和十四年)で、これに応じた朝鮮人は約八〇パーセントで、現に有名な、洪思翊中将はこれに応じなかった。しかも、「日本名」ではなく、「日本式の名前のつけ方」、つまり、ファミリー名(氏)を創ることを義務づけたものである。元々、朝鮮には一族名である「姓(金とか朴)」はあるが、ファミリー名である「氏」はない(したがって、結婚しても夫婦はそれぞれ一族名を使用)。自発的にファミリー名(氏)を申告した人はそれがそのまま登録された(「設定創氏」といい、金でも金田でも、全く別の田中でもよかった)。拒否した人は一族名(姓)が自動的にファミリー名(氏)として登録された(「法定創氏」といい、金とか朴がそのまま「氏」になった。したがって、洪思翊は、「一族名」も「氏」も洪となった)。一方、ファースト名(名)は変えなくても自由で、変えるときは手数料を払わなければならなかった。(p120)