〈農業〉を定礎できなかったマルクス

『貧者の一答』村岡到

 マルクスは〈農業〉をどのように捉えていたのか。残念ながらマルクスマルクス主義においては、〈農業〉は重要な位置を占めていない。『マルクス・エンゲルス農業論集』が編まれ、カウツキーは『農業問題』を書き、日本では戦前から敗戦後一九五〇年代に、マルクス主義経済学のなかで〈農業問題〉が、日本資本主義の発達をいかに把握するかの主要な論点としてかまびすしく論議されたこともあったので、今まで気づかなかったのであるが、偏見――この場合には身内に甘くなる偏見を捨てて調べるとすぐに理解できる。いささか古いが一九六六年に刊行された『資本論辞典』(青木書店)には、何と「農業」という項目が立てられていない(「農業革命」「農業恐慌」はある)! つまり『資本論』を理解する――ということは資本制経済を理解すると同義だと思われている――うえで「農業」は必要ないということである。この辞典はマルクス主義経済学者の集団的成果であるが、さらに驚くのは近代経済学をも合わせた大部の『経済学辞典』(岩波書店、一九七九年)にも「農業」という項目がない。正確に言えば、「農家経済」や「農業の資本主義化」や「農業(各国)」という項目はあり、各国の農業の特徴についての説明はあるが、「農業」を他の項目のように抽象的に定義づけてはいない。これは偶然ではない。玉野井によれば「ケインズ経済学……では農業セクターは完全に無視されている」。アルフレッド・マーシャルも農業を軽視したという。「マルクス経済学も近代経済学も、この市場と工業の〔つまり農業無視の〕経済世界を中心に売買の〈無意論的メカニズム〉を描き出し」たという評価が生まれる由縁である。
 労農派の向坂逸郎は一九三二年に、カウツキーの『農業問題』の「訳者序文」で、カウツキーのこの著作とレーニンの『ロシアにおける資本主義の発展』が同じ一八九九年に刊行されたことを紹介し、「この時まで、われわれは資本主義において農業がいかなる様相をもって現れるかについて体系的に述べたマルクシズムの文献を有しなかった」と書いている。(p101)