通州事件

通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』藤岡信勝 三浦小太郎 編著

 藤岡信勝

 日本軍の爆撃機が通州保安隊を誤爆し、それに怒った兵士達が日本人に襲いかかったとする「誤爆説」は、右のような証拠によって反証されるだけでなく、さらに決定的なことがある。中国側の資料によって、通州事件が国民党との密約による陰謀であったということが、わかってしまったのだ。先に述べたように、保安隊第一総隊の隊長で、日本人襲撃の実行犯の張慶余が書いた手記「反正始末記」が一九八二年に中国で出版されたのである。これは、中国共産党中央が事件を正当化している証拠でもある。
 張慶余は手記の中で、蔣介石は一九三五年に保安隊ができるとき、のちの保安隊の五つの部隊の原型となる部隊をつくらせた、と書いている。張慶余は国民党軍の幹部からも、「殷汝耕には、面従腹背でいるようにして、自分の正体がバレないようにしろ」、そして、「時が至ったら日本に対して反乱を起こせ」と言い含められたとある。つまり通州事件の二年も前から、すでに蜂起は計画されていたし、そういう任務を与えられて張慶余は保安隊の役職に就いていたのである。(p39)


 阿羅健一

 なぜ保安隊が事件を起こしたかというと、北京や天津のあたりは宋哲元という軍閥が治めていました(宋哲元は、冀察政務委員会といって河北省とチャハル省の行政を行う組織の委員長)。…
 宋哲元は日本と関係がよかったのですが、盧溝橋事件が起きると蔣介石から毎日日本と戦えと言われていた。それで右に揺れ左に揺れて、蒋介石の参謀次長が宋哲元のところまで来て、日本と戦うのだ、と厳しく言って、宋哲元がとうとう腹を決めた。その結果、宋哲元は天津や北京にいる軍隊に、二十九日午前二時を期して日本軍を襲うようにという命令を出しました。それによって、天津、塘沽など五ヵ所で、宋哲元の影響下にあった軍隊がいっせいに日本軍に攻め入ったのです。その一つが通州の保安隊でした。通州の保安隊は殷汝耕の隷下にあったのですが、宋哲元の影響も受けていたのです。(p68)