カルスキはホロコーストを目撃したのか

『物語 ポーランドの歴史』渡辺克義

 コラム カルスキはホロコーストを目撃したのか

 一九四二年十一月にイギリスに渡ったカルスキが西側高官にホロコーストなどの問題を伝えようとしたことは事実である。しかし、イギリスでは首相チャーチルに会うこともできず、外相イーデンに会うのが限度だった。しかも、イーデンはカルスキの話に耳を貸す様子はなかった。このような結果になったのには二つ理由があろう。一つは、カルスキ以前にホロコーストに関する知らせが届いており、既に旧情報になっていたことである。同年八月にユダヤ系スイス人のゲルハルト・リーグナーによって、ナチスユダヤ人問題の「最終解決」の報が西側にもたらされていたのである。また、大量殺戮の現場を目撃していないカルスキの報告では、ホロコーストを伝聞のかたちでしか伝えることができず、結果的に説得力を欠くことになったのではなかろうか。
 翌一九四三年の七月二十八日、カルスキは駐米・ポーランド大使のヤン・チェハノフスキとともにローズヴェルト大統領をホワイトハウスに訪ねている。この時の会談はわずかに一時間一五分で、ユダヤ人問題は会談内容の一つでしかなかった。この会談が成功であったか否か、カルスキは回顧録で明言を避けている。しかし、一九四七年にアメリカで出版されたチェハノフスキの回顧録『勝利の中の敗北』(Defeat in Victory)の中ではこう記されている。「彼〔カルスキ〕はオシフィエンチム〔アウシュヴィツ〕、マイダネク、ダッハウミュンヘン近郊の都市〕、オラニエンブルク〔ベルリン近郊の都市〕、女子収容所のラーヴェンスブリュク〔ベルリン近郊のフュルステンベルクに所在〕について話し、警官に扮して訪れたトレブリンカとベウジェツの二つの絶滅収容所について、大統領に神経を苛むような描写をした。『大統領、ユダヤ人の窮状に関し誇張しているところがないことは保証します』とカルスキは続けた」。このあとカルスキは、ワルシャワユダヤ人代表からの要請として、アメリカがドイツの都市を爆撃するように求めたが、大統領はこれに対し、イエスともノーとも返答していない。ポーランドの地下組織の状態についてカルスキに問いかけ、話題を切り替えたのである。ここでも、カルスキの努力は報われなかった。
 はたしてローズヴェルトユダヤ人問題を無視したと言えるであろうか。ローズヴェルトに対してもホロコーストの現場を生で見ていないカルスキは十分説得的に話ができなかったというのが真相ではなかろうか。そもそも、チェハノフスキによれば、カルスキはトレブリンカとベウジェツを訪れたと証言したことになっているが、実際には両絶滅収容所を訪れた事実はない。繰り返すが、彼が足を運んだのは――既に述べたように――ワルシャワとイズビツァのゲットーである。二つのゲットーの惨状を見ただけでも十分だが、もしカルスキが絶滅収容所まで行っていたならば、英米に対する説得工作はまた違った展開を見せたことであろう。(p126)