テヘラン会議

ポーランドの歴史を知るための55章』渡辺克義 編著

 ロンドンの「亡命政府」

 1939年9月第二次大戦が勃発すると、ドイツとソ連の攻撃をうけてポーランド政府はイギリスに亡命した。この時点から領土と国民のない政府だけの組織となった。
 当時、孤立していたイギリスは、亡命してきたポーランド政府と軍の助力を得るため、ポーランド国家の正当な「主権」は亡命政府にあることを認める。さらに、1941年8月にはアメリカ大統領ローズヴェルトと共に、戦争終結時には、武力によって放逐された政府はもとの地域にその「主権」を回復する、という「大西洋宣言」を発した。
 ところが、この「宣言」の2ヵ月前の1941年6月、ソ連はドイツに侵入されると、イギリスに接近してきた。ソ連の重要性を考え、チャーチルポーランドの処遇については、スターリンの意向に合わせていく。それが、ポーランド領土の縮小、国全体の西への移動、という1943年11月のテヘラン会議における米英ソ三首脳の了解となる。(p25)