ミンストレル・ショーとは何か

『はじめてのアメリ音楽史里中哲彦 ジェームズ・M・バーダマン

 里中 ミンストレル・ショー(Minstrel Shows)は、アメリカにおける19世紀最大の商業娯楽ですね。

 バーダマン 一般の日本人には、ミンストレル・ショーといってもなじみがないと思いますが、アメリカ人ならかならず耳にしたことがある19世紀半ばに誕生した大衆芸能です。白人が黒人に扮して、歌や踊り、話芸や寸劇などを見せる演芸で、黒人に対する軽蔑と揶揄をあからさまに売りものにしていました。18世紀の末ごろに、サーカスで演じられていたアントラクト(entr'acte=幕間の演芸)に始まり、1840年代に成立した。50年代に大衆化し、60年代に最盛期を迎えている。ショーの多くはテントの中でおこなわれ、町から町へと移動し、なかには海外にまで出かける一座もありました。(p34)


 バーダマン しかし、隆盛を誇ったミンストレル・ショーも、19世紀後半になると、しだいに疎んぜられ、第一次大戦が始まるころ(1914年)には、人種差別を助長するものとして徐々に大衆性を失っていきます。そのころにはすでに教養ある黒人が出始めていました。彼らにとって、ミンストレル・ショーは我慢のならぬ屈辱的なものでした。

 里中 とはいえ、日本ではあまり指摘されませんが、ミンストレル・ショーがアメリ音楽史において果たした役割は驚くほど大きい。

 バーダマン オペレッタ(Operetta)やミュージカル(Musical)だって、ミンストレル・ショーがなければ生まれなかった。ショーのつくり方において、ミンストレル・ショーはミュージカルの先行形態であるといってもいいでしょう。ケイクウォーク(Cakewalk)をはじめとするいまのダンスだって、その多くがミンストレル・ショーの伝統を引き継いでいます。

 里中 アメリカらしさを体現している芸能として、よくミュージカルの名が挙げられますが、ミンストレル芸人たちの多くはヴォードヴィル(Vaudeville)へ移り、それをミュージカルへと発展させていった。そういう歴史があります。

 バーダマン ヴォードヴィルというのは洗練されたバラエティ・ショー。舞台では、歌、ダンス、パントマイム、曲芸などがくりひろげられた。ニューヨークにパレス劇場ができたころ(1913年)が人気絶頂期で、1920年代に入ると、しだいに映画に押されてしまいましたけど。(p41)