『図解 大日本帝國陸軍』堀場亙
本間雅晴の人物伝には、つねに光と影が付きまとう。
光は言うまでもなく、フィリピン攻略の司令官として。
そして影は、そのフィリピン攻略の結果として生じた「バターン死の行進」の首謀者としてのレッテルだ。
今でこそ「バターン死の行進」は虚偽のプロパガンダであり、さらに言うなら本間によってフィリピンからの逃亡を余儀なくされたマッカーサーによる復讐だったことに疑問の余地もない。
それでも、マニラ軍事法廷の判決は覆しようのない「事実」として、今も残り続けているのである。(p176)