欧米を恐れる中国の歴史認識は、二重基準

『ひと目でわかる「日の丸で歓迎されていた」日本軍』水間政憲

 中国は、「中国侵略の権化英国」をいまでも恐れているのか、阿片戦争(一八三九年九月)以降、数々の暴虐を行った英国に沈黙の姿勢を貫いています。
 そもそも麻薬を買わないからと戦争に打って出た英国には、当時も現在も、弁明できない「非」があり、阿片戦争で領土(香港)まで奪われた中国が、支那事変だけを声高に批判するのは、整合性がないのです。
 その香港が、条件付きで中国に返還されたのは、中国国内で反日教育が強化されていた一九九七年のことでした。
 一八五六年、第二次阿片戦争(アロー戦争)では、英仏連合軍が北京郊外の「円明園」(清朝離宮)を襲い、金目のものはすべて略奪し、徹底的な破壊が行われ、廃墟となったのです。
 南京攻略戦総司令官、松井石根大将が、南京城外にあった近代中国建国の父、孫文が祀られている「中山陵」を、日本軍の作戦上、不利になることを承知で、歩哨まで配備して徹底的に守ったことと、えらい違いです。
 そんな中国でも、日本軍の威を借りて「英国批判運動」が済南だけでなく天津などでも行われていたのは、画期的なことだったのです。(p86)